笑福亭松之助さん死去 さんまの師匠で上方落語の“長老”93歳、老衰で

 明石家さんま(右)の前で口上を述べる笑福亭松之助さん=2014年3月8日 
 明石家さんま(右)の前で口上を述べる笑福亭松之助さん=2014年3月8日 
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 上方落語家の最年長で、タレント・明石家さんま(63)の師匠としても知られる笑福亭松之助(しょうふくてい・まつのすけ=本名・明石徳三)さんが22日午前3時すぎ、老衰のため、兵庫県西宮市内の病院で死去した。93歳だった。葬儀は近親者のみの家族葬で営まれ、後日、お別れ会を執り行う予定。松之助さんは神戸市生まれ。1948年に五代目笑福亭松鶴さんに入門した。話芸とともに、多才なタレントとしても名をはせた。

 おおらかな人柄と伸びやかな芸風で、誰からも慕われた上方落語界の“長老”が、静かにこの世を去った。

 関係者によると、松之助さんは昨年11月、体調を崩して西宮市内の病院に入院。さんまも見舞いに訪れていた。一時は危篤状態に陥ったものの持ち直して闘病を続けていたが、帰らぬ人となった。

 松之助さんは五代目笑福亭松鶴に弟子入りし、「上方落語の四天王」と称された六代目松鶴の弟弟子となった。だが、入門2年後に師匠が他界。その後は軽演劇集団「宝塚新芸座」に入団し、故・ミヤコ蝶々さんらのもとで喜劇俳優としても活躍した。

 50年代後半から吉本興業、松竹芸能などを渡り歩き、吉本新喜劇の脚本も担当しながら、自らも出演した。テレビCMにボヤキを入れる創作落語「テレビ・アラカルト」でも人気を博した。67年に吉本興業に復帰し、74年には明石家さんまを弟子に迎えた。

 弟子の命名は、自身の本名「明石」と、弟子の実家の家業を合わせる形にしており、さんまは、実父がサンマ加工工場を営んでいたことから名づけられた。弟子入りを志願してきたさんまに、なぜ自分なのかと問い、さんまに「センスあるから」と言われたことが、後々に定番のネタに。逆に自身が芸人を辞めようとして、さんまに諭されたこともあったという。

 趣味の水泳ではマスターズ大会に出場するほどで、94年には短水路大阪大会200メートル自由形で1位となっていた。近年も元気に舞台やテレビに出演し、14年には桂文枝の襲名披露公演に、さんまと師弟で登場。16年には関西テレビ「さんまのまんま」にゲスト出演した。同年には、自身初の著書「草や木のように生きられたら」を出版するなど、精力的に活動していた。

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