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島木譲二さん死去 パチパチパンチの由来…肩痛め野球を、失明寸前でボクサー断念

亡くなった島木穣二さん
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 上半身裸になって自らの胸を連打する「大阪名物パチパチパンチ」や、灰皿で頭を叩く「ポコポコヘッド」など体を張ったギャグで吉本新喜劇の屋台骨を支えてきた俳優・島木譲二=本名・濱伸二=さんが16日午前9時6分、脳溢血のため入院先の大阪市内の病院で亡くなった。72歳。所属の吉本興業が発表した。兵庫県尼崎市出身。2011年から体調不良で休養していた。

 島木さんは元ボクサーでミドル級の西日本新人王だった。36歳で吉本入り。芸名は小学校6年の時に見た映画「俺は待ってるぜ」で主演の石原裕次郎が演じた主人公の名前からつけた。裕次郎さんに憧れ、「中高生の時から行く先々で『わしは島木譲二や』と言うとったんや」と明かしていた。

 小学校ではプロ野球選手を目指した。長嶋茂雄さんや、中西太さんに憧れ、ポジションはサード。打順は三番か四番。高校野球の名門、大阪の興国商(現在の興国高)に進んだ。しかし、高2の時、肩を壊して、野球の道を断念。バイト先の先輩から叱咤され、近くのボクシングジムに通うようになり、今度はプロボクサーを目指した。

 19歳で西日本新人王に輝くが、1年後、右目に異変を感じ、医師から「このまま続けてたら失明する」と言われ、ボクサーの道も断念した。

 その後は毎日放送の警備員に。ある時、高さ1メートルほどの台の上から飛び降りて左足を骨折、8カ月入院した。リハビリのために殺陣師のところに通ったところ、先生の縁でテレビ番組の斬(き)られ役をやるようになり、それがきっかけで、吉本の地方公演に誘われた。36歳、遅咲きのデビューだった。

 03年のインタビューで島木さんは「この風貌やから役はワルばっかり。でも、不満なんかあらへん。一番のワルになったるって思うとった」とデビュー当時を述懐していた。

 上半身裸になって体を思いきり叩くギャグ「パチパチパンチ」が誕生したのはデビュー6年目。台本の中に「ゴリラのように」と書かれていて、思いついたのだという。

 当時、吉本に肉体芸をする役者はおらず、間寛平からも「島やん、おもろいやないか」とほめられ、「カイクリ カイクリ アッパッパ」って名前を付けられた。しかし、舞台では全くウケず、「自分で考えた今の名前にしたら大ウケ」と嬉しそうに語っていた。

 パチパチパンチについて、島木さんは「簡単そうやけど、普通の人がやったらぶっ倒れまっせ。ボブ・サップも『痛い』いうとった」とも話していた。

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