若嶋津死す さらば「南海の黒ひょう」80年代沸かせた名大関、元二所ノ関親方 妻は人気歌手の高田みづえさん
大相撲の元大関若嶋津で、元二所ノ関親方の日高六男(ひだか・むつお)さんが15日、肺炎のため千葉県内の病院で死去した。69歳。鹿児島県出身。優勝を1984年春場所と同年名古屋場所の2度記録し、引退後は日本相撲協会理事を務めた。葬儀・告別式は未定。
左四つからのスピード感あふれる取り口、細身で精悍(せいかん)なマスク、俊敏な動き…。種子島出身で「南海の黒ひょう」の愛称で親しまれた元大関若嶋津がこの世を去った。
1975年春場所、「土俵の鬼」と呼ばれた元横綱初代若乃花が率いる二子山部屋から初土俵を踏んだ。そのときの体重は80キロに満たず「割り箸」とからかわれた。それでも同年夏場所、いきなり7戦全勝で序ノ口優勝を果たした。
80年春場所新十両。翌夏場所、10勝5敗で十両優勝を果たした。身長は188センチながら、体重は重くて125キロ。軽量でも寄り、投げが強く、左下手を取って右から絞って攻める取り口で、十両を5場所で通過した。
81年初場所で新入幕を果たすと、10勝5敗で敢闘賞を受賞した。小結だった82年名古屋場所で10勝を挙げ、関脇だった翌秋場所、続く九州場所はともに12勝をマークし、場所後に大関昇進を果たした。
1984年春場所、14勝1敗で初優勝を飾った。同年名古屋場所の15戦全勝を含めて、幕内優勝は2度を記録した。もっとも、綱とり場所の成績は振るわず、悲願の横綱は遠かった。5度目のかど番となった87年名古屋場所、初日から2連敗して引退した。
引退後は年寄「松ケ根」を襲名し、90年1月に松ケ根部屋を創設。協会理事に就任した2014年に年寄「二所ノ関」を襲名し、伝統の部屋を復活させた。師匠として幕内松鳳山、一山本、島津海ら関取を育てた。
2017年10月、千葉県船橋市内の路上で転倒。搬送先の病院で頭部を手術した。一時意識不明の重体となったものの、生命の危機は脱した。23年7月に日本相撲協会を退職。療養生活を続けていた。
妻は元人気歌手のみづえさん(旧姓高田)。大阪市内で開催中の春場所を初日からテレビ観戦し、かつての弟子が勝てば穏やかに笑っていたという。みづえさんによると、亡くなる朝まで意識があり、周囲に「ありがとう」とお礼を言っていたという。
◇日高みづえさん「私の愛情をたっぷり受けて天国に逝きました。15日の朝まで意識があり、周囲に『ありがとう』『「大丈夫』と言っていました。最後まで本当によく頑張りました」
◆日高 六男(ひだか・むつお)1957年1月12日、鹿児島県中種子町出身。75年春場所初土俵。81年初場所で新入幕を果たした。82年秋、九州と2場所連続12勝を挙げ、大関昇進。84年春に14勝、同年名古屋で全勝し2回の幕内優勝を果たした。87年名古屋場所で引退。引退後は年寄松ケ根を襲名。2014年に年寄二所ノ関を襲名した。最高位は東大関。妻は元歌手のみづえさん(旧姓高田)。





