スノボHP代表・清水さら 日本勢女子初金&冬季最年少表彰台の“W偉業”狙うスーパー女子高生 6日で冬季五輪開幕あと半年

 2026年2月6日のミラノ・コルティナ冬季五輪の開幕まで、6日で半年。スノーボード女子ハーフパイプ(HP)日本代表の清水さら(15)=TOKIOインカラミ=は、同種目初の金メダル獲得と、冬季五輪の日本勢最年少表彰台の“ダブル偉業”に挑戦する。シニア国際大会デビューした昨季にいきなり世界選手権で準優勝した“スーパー女子高生”が、4日までにデイリースポーツのインタビューに応じ、初の夢舞台を控えた現在の心境や意気込みを語った。

 くしゃっと笑う女子高生らしいあどけなさの中に、アスリートの頼もしさものぞかせる。スノーボードHPの女子エースとして初の五輪に臨む清水は、開幕を半年前に控えた率直な心境を明かした。

 「緊張はしない方。緊張するなら予選のスタートに立った時かな。限られた時間だからこそ、自分のできることを最大限にやらないといけないし、練習も精いっぱいやっていきたい」

 滋賀県大津市出身。スノーボードが趣味の両親の影響で、0歳から雪山に通った。車で滋賀・びわ湖バレイ、岐阜・高鷲スノーパークなど、さまざまなゲレンデに遊びに行くことが、毎週末の家族のルーティン。もちろん清水は板に乗れないため、両親に抱えられて雪山を“滑走”した。数年たつと、目を輝かせて「ジャンプ!ジャンプ!」と、両親の腕の中でおねだり。物心がつく前からスノーボードの楽しさに魅了されていた。

 1人で板に乗り始めたのは4歳。「滑りたい」と自ら言った。両親に抱かれて滑るうちに感覚が磨かれていたのか、誰にも教えられていないのに板をはいて立ち上がり、“初乗り”から上手に滑った。「もう板、買っちゃおう」(母・里紗さん)。その日のゲレンデからの帰り道はショップに直行。スノーボード一式を買い与えると、さらにのめり込んでいった。

 スノーボードレッスンの入会をきっかけに、小学1年から本格的にHPを開始。週末はゲレンデ営業開始の9時から練習し、平日は体操教室に通ってトランポリンやマット運動で回転感覚を磨いた。「できない技術とか、できない技があればできるまでやっていた」。当初は覚えたての技で50回中48回も転倒することは日常茶飯事だったが、できない自分が悔しくて、ひたすら練習に打ち込んだ。

 努力の成果もあり、実力は着実に付いた。小学5年時にはアマチュアの全日本選手権で最年少優勝を果たし、プロ資格を取得。次の目標には「さらに上を目指したい。五輪に出てみたい」と掲げた。練習で通う高鷲スノーパークでは平野歩夢らトップ選手を見かけており、世界最高峰の舞台にはずっと憧れていた。

 15歳を迎えた24~25年の昨シーズンからシニア国際大会に出場すると、W杯第2戦でいきなり初勝利。「この成績は全く想像していなかった」と本人は驚くが、幼少期から培ってきた板を扱う感覚や、負けず嫌いで追求してきた技の完成度が世界の審判から高く評価された。2月のアジア大会を制すと、3月の世界選手権は日本勢最高位の銀メダルを獲得。一気に五輪金メダル候補に名乗りを上げた。

 彗星(すいせい)のごとく現れた“スーパー女子高生”。今オフは悪天候時の演技構成や、ダブルコーク1080(斜め軸で縦2回転、横3回転する大技)などの習得に努め、来季に向けた準備を進めている。昨季の成績により代表入りは有力で、五輪では日本勢初の金メダル獲得と、22年北京五輪スノーボードビッグエア銅メダルの村瀬心椛の17歳100日を抜く16歳92日での最年少表彰台に挑戦する。

 「これまで頑張ってきた成果を五輪の舞台で見てほしいし、勇気を与えられる滑りをしたい」。年明け1カ月後のイタリアの地で始まる冬の祭典。清水が2つの偉業を達成し、光り輝くメダルを掲げてみせる。

 ◇清水さら(しみず・さら)2009年11月12日、滋賀県大津市出身。スノーボードが趣味の両親に連れられて0歳から雪山に行き、4歳からスノーボードを始めた。小学5年でプロライセンスを取得。23年全日本選手権で2位に入り、24年ユースオリンピックで銀メダルを獲得した。24~25年シーズンからW杯に参戦し、第2戦で初勝利。25年ハルビン冬季アジア大会を制し、同年世界選手権では準優勝した。京都・平安女学院高在学中。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

スポーツ最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(スポーツ)

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス