松田詩野 東京落選で大きく強く パリ五輪最速内定 メダルへ「どれだけ限界を超えられるか」

 サーフィンの2024年パリ五輪予選を兼ねた今年のワールドゲームズ(WG=世界選手権に相当、5~6月、エルサルバドル)で女子の松田詩野(20)がアジア最上位の13位となり、全競技を通じて日本勢第1号のパリ五輪代表に内定した。来年2月開幕のWG(プエルトリコ)に出場する条件を満たせば代表権が確定する。21年東京五輪は選考で優位な立場にいながら出場を逃す悔しい結果に。挫折から悲願の五輪切符獲得までの道程を振り返る。

 因縁の地で、今度は歯車がかみ合った。6月のWG。松田は2年前に東京五輪代表を逃したエルサルバドルで、パリ五輪切符を獲得した。「過去の悔しさを超えられたのでうれしかった」と喜びをかみしめた。

 早くから注目を集める存在だった。19年WG(宮崎)で条件付きの東京五輪代表権を獲得。当時高校2年生の新星は一躍新種目の“顔”になったが、その「条件」をクリアできなかった。21年にエルサルバドルで行われた五輪最終予選のWGで41位に敗退し、自力での出場が消滅。その後、都筑有夢路と前田マヒナが上位7人以内(プロツアー枠で五輪代表権を持つ選手を除く)の五輪出場条件をともに満たしたため、松田は代表権を失い、まさかの落選となった。

 「代表枠よりもオリンピックでいいサーフィンをみんなに見せたいとか、そこのイメージをしちゃっていた。もっと目の前のことに集中して、まず代表枠を取るっていう気持ちがもっと大事だった」

 その時の悔しさは原動力となり、松田を強くした。22年4月に脱臼癖のあった右肩を手術。目先の試合ではなく「今後のため」と長い競技生活を考えての決断だった。遠回りとなったが、時間をかけて体を作り直したことで確実に進化。日本代表監督の宗像富次郎氏は「体が大きくなってトップ選手と似たような体形になった」と成長ぶりを評価する。

 さらに宗像氏は「精神的に強くなった」と分析する。今年6月のWGで敗者復活戦に回った際、松田は「気付かないうちに焦っていた」と即座に反省。次戦までの3時間で「勝ちにこだわりすぎたら駄目。気持ちを落ち着かせて、まずは自分のサーフィンに集中しよう」と雑念を捨てた。前回の落選は無駄ではなかった。

 パリ五輪代表選考の規定で、松田は24年のWGに出場すれば代表が確定する。日本連盟は松田を大会に派遣する方針で、今回は代表権を失うことはない。現在は五輪本番会場のタヒチで合宿中。目標のメダル獲得へ「どれだけ限界を超えて、今の自分を超えられるかが楽しみです」。地道な準備の先に夢舞台での快挙が待っている。

 ◆松田詩野(まつだ・しの)2002年8月13日生まれ。神奈川県茅ケ崎市出身。両親の影響で6歳からサーフィンを始めた。中学2年でプロに転向。18年世界ジュニア選手権16歳以下の部で2位。19年5月の第1回ジャパンオープンで初代女王となった。同年9月のWGでは15位でアジア最上位。中学時代のあだ名は世界中を転戦していたことから「世界の松田」。158センチ。

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