ラグビー福岡堅樹「患者さんと触れ合える臨床医になりたい」引退後、医師を志すきっかけは

 少し寄り道をしながら、描いた人生設計通りに歩んでいく。ラグビーW杯日本大会で活躍したWTB福岡堅樹(27)=パナソニック=は、18日のトップリーグ・トヨタ自動車戦(豊田スタジアム)を今季の15人制で行われるトップリーグ最終戦と位置づけ、7人制東京五輪代表候補へと移行。その後は15人制日本代表は目指さず、来季のトップリーグ限りで引退。医師の道に進む。

 開業医の祖父、歯科医の父を持つ。そして大きかったのが福岡高時代に両膝を手術した際の医師の影響。「自分が手術してくれた先生を尊敬したように、この人に従っていれば、絶対に戻れるんだという信頼を与えられる人になりたい。患者さんと触れ合える臨床医でありたい」。その経験、そして影響が将来の道を決めた。

 そんな未来予想図に割り込んだのはラグビーだった。転機は2回あった。

 1つは福岡高で出場した10年度の全国高校ラグビー大会本郷戦。「本郷戦に勝った試合は自分でそこから上を目指したいなと思えるようになった」。夢は医師とラグビーの両立に変わった。

 医学生でありながらレベルの高いラグビーもできる筑波大医学群を現役で受験したが不合格。一浪後も前期試験で不合格。悩んだ末に、後期試験で同大学の情報学群に合格する。まず大学でラグビーに専念。卒業後、一時保留した医学の道に進むプランだった。

 第2の転機は13年、大学2年のときに訪れた。当時の日本代表・エディー・ジョーンズヘッドコーチによって日本代表に招集されたことだ。「エディーさんに呼んでもらえたときが、W杯までやる、トップリーグに入ってラグビーを続ける道を選ぶきっかけになった」。世界との戦いに胸が躍った。ラグビー生活を延長。国際舞台で戦う決意を固めた。

 後押しになったのは祖父に言われた言葉だった。『才能を持って生まれてきた人間はそれを社会に還元する責任がある』-。「文武両道の道をやってきたので、その両方を目指したいという思いをより強くしたのはそのときの言葉だった」-

 W杯では4試合4トライの活躍で、世界に存在感を示した。大会公式ウェブサイトが選ぶ、「別格だったマグニフィセント・セブン(豪華な7人)」に選出された。次は東京五輪。そして医師へ-。

 W杯の舞台に未練はない。「23年(W杯フランス大会)はプレッシャーのかかる大会だと思うので、それを端から見ていたいなと思います(笑)」。医学生として?と問われると「順当にいけたとしてもそうなので、まずは学生になれるように頑張ります」。ラグビーという格別の遠回りを経て、ぶれない夢を追う。

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