井上康生監督、大粒の涙 「リオdeいいね!」

 ベイカー茉秋が優勝し、喜ぶ井上康生監督(共同)
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 柔道競技が全て終了した12日、日本男子の井上康生監督は私たち報道陣の前で大粒の涙を流しました。取材ゾーンはテレビカメラ用、ペン記者用と二つに分かれています。テレビ取材中の後ろ姿を見ていた私はその瞬間、「あっ!」と声を上げてしまいました。

 頭は前方へ傾き、大きな背中がぶるぶると震えていたのです。泣いていました。ペン記者の前でも両手で何度も涙をぬぐって声を震わせ「自分自身をコントロールできない。素晴らしい選手とスタッフ。感謝ですね…」。金メダル2個を含む初の全階級メダルを達成。日本柔道を畳の中央へと一気に押し戻した男の美しい涙でした。

 2000年シドニー五輪男子100キロ級をオール一本勝ちで制した華のある男ですが、指導者として挫折を経験しています。英国留学後の11年から日本男子コーチとなり、12年ロンドン五輪では史上初の金メダルゼロの屈辱。試合会場では海外の指導者から次々と「コーセイ、日本はどうした?」と言われました。最終日にロンドン市内の中華料理店で開かれた慰労会の席上、井上監督は「選手に申し訳ない…」と嗚咽を漏らし、涙をぼろぼろとこぼしました。

 「柔道」と「JUDO」の融合を研究する理論派の一方、闘う選手を時に抱きしめて鼓舞する激情派。コーチ時代からそうでした。私は「この人に監督をやってほしい。この人が率いるチームを取材したい」と念じ続け、ロンドン五輪後に実現しました。

 38歳の井上監督は東海大3年の時に母、27歳で長兄を亡くしました。その経験から「人生は何が起こるか分からない。だから私は一日一日を力いっぱい生きる」と日々を燃焼させています。本当に魅力的な人物です。

 日本へと向かう13日。リオデジャネイロの空港で指揮官は言いました。「朝起きたらね、次にやるべきことがどんどん頭に浮かんできた。もっとできた、今度はこれができる、といった感じですね」。

 前日の涙から一転、既に東京五輪へと向かう男の顔になっていました。達成感は浸るものでなく、あすへの活力。私よりも5歳年下ですが、井上監督からは人としてどう生きるかを学ばせてもらっています。

(リオデジャネイロ共同=田井弘幸)

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