野球人生で特に濃い時間だった福井商時代 県内屈指の強豪校 本気で野球を辞めようとした2年生の秋
全国各地で夏の甲子園に向けた地方大会が始まっています。今回は私の高校時代を振り返ってみたいと思います。
福井商での3年間は、野球人生の中でも特に濃い時間でした。中学時代は軟式野球部に所属。強い学校ではありませんでした。県大会での投球が偶然、福井商の監督の目に留まり、県内屈指の強豪校への進学が決まりました。
水が飲めない時代の最後ぐらいだったと思います。バックネット裏に給水器は用意されていましたが、いつも横に監督が座っていたため、誰も飲みに行けませんでした。外野のファウルボールを拾いに行ったとき、校舎の死角にある水道水をこっそり飲んでいたのは、良い思い出です。
一番しんどかったのは冬場、雪国ならではの室内練習場でのトレーニングでした。腕力をつけるための「ハミング巻き」という独自のメニューがありました。柔軟剤の「ハミング」の空きボトルに2キロの砂を詰め、それをロープで縛ります。ロープのもう一方には、丸太を結びます。丸太の両端を両手で抱え、2キロの砂が入ったボトルを腕で巻き上げることで筋力をつける練習でした。こういうトレーニングをひたすら反復するのです。狭い室内なので、常に監督の目が光っていました。気を抜けず、心が折れそうになりました。
2年生の秋頃、新チームになってすぐの時期に、ケガや思い通りにいかない焦りなどが重なって、本気で野球を辞めようとしたことがありました。学校の企業研修で部活が休みになった日をきっかけに、そのまま練習に行かない日が何日か続きました。その数日間は、友達とカラオケに行ったりしていました。
強豪校ということで限られた選手しか入部できなかった時代です。主力選手が辞めるとなるとチームにとっては一大事。他の部員の親御さんたちが私の家に来られて、「今ここで辞められたら困る」と諭され、退部を思いとどまりました。その後、一緒に辞めようとした数人で監督の家に行き、頭を下げました。
3年生の夏は背番号1を付けて臨み、決勝で敦賀気比に敗れました。子どもの頃から、福井商のユニホームを着れば一度は甲子園に行けるものだと思っていました。2年の夏にチームが甲子園に出場したときは、肩を痛めていたためメンバーではありませんでした。3年間で一度も甲子園の土を踏めなかったのは、本当に悔しかったです。
カープに入団して初めて甲子園のグラウンドに立ったときは「こんな感じか」と、少し冷静に思った部分がありました。ただ、高校3年間、ここを目指して必死にやってきた、野球人生の原点ともいえる場所であることに変わりはありません。
3年生にとっては集大成。うれしさも、楽しさも、悔しさも、全ての感情を爆発させながら白球を追いかけてほしいと思います。勝っても負けても二度と戻れない夏。精いっぱい、駆け抜けてほしいと願っています。(デイリースポーツ評論家)
◇横山竜士(よこやま・りゅうじ)1976年6月11日生まれ、49歳。福井県勝山市出身。現役時代は右投げ右打ちの投手。178センチ、80キロ。福井商時代は甲子園出場はなかったが、1年秋からエースとして活躍。94年度ドラフト5位で広島に入団。97年に中継ぎながらプロ初勝利を含む10勝を挙げる。先発、中継ぎ、抑えと幅広く活躍し、プロ20年目の2014年に現役引退。通算成績は507試合に登板、46勝44敗17セーブ110ホールド、防御率3・42。20年から昨季まで広島で投手コーチを務めた。
