侍・山田 泣いて帰った小学2年 バットに当たらず「もう野球はしない」 「兵庫・宝塚リトル」李総監督明かす第一歩

 侍ジャパンは無傷の5連勝で4強進出を決めた。さあ、悲願の世界一奪還まであと2勝。日本代表に名を連ねた選手たちの原点、素顔に迫る「侍外伝」の第8回は、ヤクルト・山田哲人内野手(30)だ。小学生時代に所属した「兵庫・宝塚リトル」の総監督、李相鎬さんが明かす知られざるエピソード。涙から始まった野球人生、唯一無二の野球選手誕生には、挫折と絆、不思議な人間力があった。

  ◇  ◇

 悔しさから始まった野球人生だ。友達に誘われた小学2年の5月、野球グラウンドへと山田はやってきた。初心者の初日。まずは遊び感覚でボールを打ってみる、投げてみる、捕ってみるからスタート。だが、なかなかできない。当時のことを李監督は、懐かしそうに思い返した。

 「うまくできなくてね。サッカーや空手、水泳…。哲人は小さい頃からいろいろやっていて、学年でも運動神経はいい。なのにバットに当たらないから、『もう野球はしない』って言って、泣いて帰っちゃったんだよ」

 そこから1週間、音信不通。再び戻ってきたのは翌週になってからだった。これには李監督自身も予想外。「『やっぱりやる』って言ってね。相当悔しかったんでしょう」と入団した経緯を推察した。挫折と悔しさを味わって、練習開始。外野では主に中堅を守り、遊撃手や投手も経験。李監督は「能力的にはセンターライン」と素質を見抜いた。

 自宅の駐車場ではバドミントンのシャトルを打つなど、独自の練習方法で鍛錬。打撃が開花したのは高学年になってからだ。李監督が印象に残った試合がある。全日本選手権での関西予選で、大阪・富田林リトルの勧野甲輝投手(PL学園→楽天など)と対戦。「宿敵」と位置づけた相手は速球が武器の超リトル級投手で、1番・山田が迎え撃ったという。

 プレーボールがかかった直後だ。初球の変化球をはじき返し、鮮やかな一発を描いた。李監督も「あれにはビックリした」と驚きを隠せない。そして、言葉を続けた。「勧野くんは速球派の投手。当然、真っすぐにヤマを張る。哲人も絶対にストレートを待っていたと思うよ。でも甘く入ってきた変化球を、泳ぐことなく見事に自分のスイングで打ち返した。非凡なものを感じた瞬間だよ」-。

 幼き頃から、周りよりたけていたのは「タイミングの取り方」。体も小さかったため、力ではなく技術でする野球を身につけた。「ボールを自分のタイミングで引きつける練習をやらせた記憶がありますね」と、軸回転でバットを振ることを口酸っぱく指導。強い打球を飛ばすための体の使い方は、幼少期から作られた土台が今に生きていた。

 李監督は「あいつは小さい時から世渡り上手や」と笑う。当時から怒られるまでの悪さはしない。だが、山田の父・知規さんのことはよく叱ったというから驚きだ。スコアラーとしてチームの試合結果をつけていたが、「山田哲人の欄だけ真っ赤。赤はヒットでね。『さっきのはエラーやんけ』って。お父さん、これだと10割バッターになっとるやないか」と怒ったことは、今になっては笑い話だ。

 泣いて、立ち向かった小学2年生から23年。今では日本代表メンバーの“常連”となった。あと2勝で目指す世界一奪還へ。山田が活躍する度に昔話を笑って明かす。今でも鮮明な思い出の数々。「この話はね、もう何十回もしているんだよ」-と。

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