とにかく真面目で皆に親しまれていた藤井弘さん 思い出深い1年目の衝撃秘話 カープOB安仁屋宗八氏が振り返る昭和プロ野球

 広島、阪神で通算119勝をマークし、現在はデイリースポーツ評論家を務める安仁屋宗八氏が、現役時代の記憶を振り返ります。今では想像もつかない昭和ならではの破天荒なエピソードを語り尽くします。

  ◇  ◇

 かつて広島の4番を務めた藤井弘さんは僕からすれば「レジェンド」と呼ぶにふさわしい人。大きな体で風貌もゴツい感じだったから「ゴジさん(ゴジラ)」と言われて皆に親しまれていたね。

 藤井さんは180センチを超える大型の右打者で、内角を打つのがうまかった。国鉄から巨人へ移ったあの金田(正一)さんを得意にしていたほど。大きなカーブのあとにズドーンと来る直球をあまり苦にしなかった。

 大洋の平松(政次)からもよくヒットを打っていた。代名詞でもあったカミソリシュートをうまく打ち返していたね。とにかくカープ打線が苦手にしている投手をよく打った。だから対戦前になるとウハウハで喜んでいた。

 しかし、守備がねえ。ゴロはそうでもないが、フライが苦手だった。一塁に打球が上がると常にスタンドがざわつき、捕球したら「よう捕ったのぉ」と声をかけられ拍手が起きたほど。体がデカくて不器用な人。そんなキャラで人気があった。

 足も遅くてね。安打はホームランかシングルヒットという感じだったなあ。

 (実際には本塁打177本に対して二塁打206本、三塁打14本を記録している)

 まあ、そんなタイプだから一塁しか守れなかった。とはいえスタミナはあってグラウンド30周などの長距離走になると、いつも先頭を走っていたね。とにかく真面目な人。真面目に練習する人。だからちゃんと見ていたんでしょう。

 (ちゃんと見ていたというのは、巨人・長嶋茂雄がオーバーフェンスの打球を放ちながらも一塁ベースを踏み忘れ、アウトになった一件。これを一塁手として確認し、アピールしたのが藤井だった。記録上は投ゴロ)

 一塁手は長打を打たれると、打者走者が一塁ベースを踏んだかどうかを目視で確認する必要がある。当たり前のことだが、それを当たり前にやっていたから見過ごさなかったんでしょう。

 藤井さんは見かけこそゴジラだけど、実は猫舌でね。うどんとかラーメンとか、味噌汁なんかにも氷を入れて冷やしてから口にしていた。熱いのがダメ。味が薄まってしまおうが、サーっと食べられればそれでいいという感じの人だったね。

 ただね、僕にとって一番思い出深いのは入団1年目の日南キャンプ。当時の白石(勝巳)監督に打撃投手役を命じられ、興津(立雄)さんや大和田(明)さんに投げた。でも当てるのが怖くて全然ストライクが入らず、「これでは練習にならん!」と怒られてね。

 その時、後ろで待っていた藤井さんに「加減せずに思い切り腕を振って投げて来い」と言われてその通り投げたら、あろうことか頭に当たってしまって即入院。あの頃はヘルメットをかぶってなかったからね。僕も真っ青。

 あとで病院へ見舞いに行くと奥さんも来られていて、「いいよ、いいよ」と藤井さん。奥さんからは「広島へ戻ったらご飯でも食べにいらっしゃい」という優しい言葉。お陰で救われましたよ。これがご縁でその後もかわいがってもらった。

 引退後はコーチや2軍監督をされていたが、周りの人から好かれ、後輩からは慕われる人間的にも最高の先輩でしたね。(デイリスポーツ評論家)

 ◇安仁屋宗八(あにや・そうはち)1944年8月17日生まれ。沖縄県出身。沖縄高(現沖縄尚学)のエースで62年夏に甲子園出場。琉球煙草を経て64年広島に入団。75年阪神に移籍し、同年に最優秀防御率とカムバック賞を受賞。80年に広島へ復帰し、81年引退。実働18年、通算655試合登板、119勝124敗22セーブ。引退後は広島の投手コーチ、2軍監督などを歴任。2013年12月から広島カープOB会長。22年から名誉会長。

 ◇藤井弘(ふじい・ひろむ)1935年9月29日生まれ。福山市出身。現役時代は183センチ、83キロ。右投げ右打ちの内野手、外野手。盈進商、社会人の倉敷レイヨンを経て55年に広島入団。3年目に全試合に出場し、球宴にも選出される。クリーンアップの一角として長年攻撃陣を支えた。69年限りで引退し、その後は1軍打撃コーチや2軍監督などを歴任した。通算成績は1504試合に出場し、1035安打、打率.238、177本塁打、603打点。18年に83歳で死去。

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