カープOB会名誉会長の安仁屋さん 大恩人の訃報に言葉失う 阪神でカムバック賞受賞 番組共演で放送事故寸前の話も

 吉田義男さん=23年4月撮影
 好リリーフでセーブを挙げ、吉田監督(左)に迎えられる安仁屋=1975年9月
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 元阪神監督の吉田義男さんが3日に脳梗塞で亡くなったことが4日、分かった。91歳。球団が正式に発表した。「牛若丸」、「ムッシュ」の愛称で親しまれた虎のレジェンドが逝った。

 広島、阪神で投手として活躍し、広島カープOB会名誉会長の安仁屋宗八さん(デイリースポーツ評論家)は、大恩人の死を広島のキャンプ地・日南で知ると「えっ、昨年末の(阪神の)OB会で会ったときには元気だったのに…。言葉がみつからない」と、吉田さんの訃報に言葉を失った。

 広島時代の晩年、4年連続1桁勝利に終わった。1974年オフに若生智男との交換トレードで阪神に移籍。吉田監督1年目、安仁屋さんにとっても移籍1年目の75年、抑えとして起用され自己最多の66試合に登板。12勝5敗7セーブ、防御率1・91で最優秀防御率賞とカムバック賞のタイトルを獲得した。

 「わしにとっては、阪神に呼んでくれて、大事にあつかってくれた大恩人」

 60年代は広島のエースとして活躍しながら70年代に入って不満の残る結果だったが、阪神移籍が転機となり再び輝きを取り戻した。それもすべて吉田監督のおかげだった。夜の深酒を黙認、登板が近くなる試合終盤までリリーフカーで眠ることも許してくれた。

 「単身赴任で関西に行っていたけど、吉田さんの自宅に呼んでもらって奥さんの手料理をごちそうになった。本当に大事にしてくれた」

 ユニホームを脱いでからも吉田さんとの交流は続いた。関西の吉田さんのラジオ番組に電話出演したこともある。

 「事前の打ち合わせで昔話の中で話題にしてはだめと言われていたのに、その話題を吉田さんが出してきた。放送事故になりかねない昔話になった。おおらかな人だった」

 監督として、球界の先輩として交流を続けていただけに「1年でも1日でも長生きしてほしかった。心よりご冥福をお祈りいたします」とさびしそうに語った。

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