前田智 万感…24年の赤ヘル人生に別れ
「広島3‐5中日」(3日、マツダ)
今季限りで引退を表明した広島・前田智徳外野手(42)が3日の中日戦で引退試合を行い、八回代打で登場。投ゴロに倒れたものの、九回には2008年以来の守備で打球を処理した。今季マツダスタジアム最多の3万2217人観客で真っ赤に染まったスタンドは、背番号「1」への惜別の拍手と涙に包まれた。ラストサムライは周囲への感謝の言葉を繰り返し、ナインに胴上げされて24年の赤ヘル人生に別れを告げた。
「天才」と呼ばれ、一時代を築いた男の24年が幕を閉じた。試合後、今季最多3万2217人が総立ち。大コールの中、前田智は引退のあいさつで涙ぐんだ。場内を一周し、ナインの手で一度胴上げ。場内アンコールの声に応え、もう一度舞った。
カープナインが、鯉党が、別れを惜しんだ。八回2死、代打・前田のコール。真っ赤に染まるマツダに最後の「マエダ~、マエダ~」の絶叫が響いた。
通算7785回目の打席に向かったラストサムライ。涙はなく、対する小熊と真剣勝負だった。2球目、140キロをファウルして追い込まれると、3球目、141キロ直球をはじき返した。打球は投ゴロ。一塁ベース付近でヘルメットを取り大声援に手を振り応えた。
九回には08年7月25日、横浜戦(旧広島市民球場)以来、マツダで初の守備となる右翼に入った。クッションボールをさばき、ファウルで走った。最後の打席は「邪飛」を予告していたが「だいたい僕の思惑とは裏腹になる。小さいころから僕の願うことはうまくいかない」と笑った。
入団1年目の90年から順風満帆だった。「ガツガツしたものがあった。すべてを吸収してやろう」。だが95年に右アキレス腱を断裂。そこからは両アキレス腱、ふくらはぎ、太ももと故障に次ぐ故障。「前田智徳は死にました」「今やっているのは弟」と迷言を残した。
「投げやりになった自分が過去にいた。24年のうち野球ができたのが3分の1くらい。リハビリしてトレーニングして後は寝るだけ」。それでも何度もはい上がり2000安打を達成。10年以降は、代打が新境地となった。
自宅にある段ボールいっぱいの湿布もテーピングも、もう必要ない。「湿布、貼らなくてもいいんですよ。ピリッと来てもいいんですよ。どう思います?」。そう言ってうれしそうに笑った。
セレモニー後は「何と言っていいか分からなかったけど、ありがとうという気持ちを伝えたかった」と、安堵(あんど)したような表情を見せた。「カープで一途に野球ができたことを誇りに思う。これから強いカープになることを願って、きょう引退します」。新時代カープへ、意思は託した。


