前田智が引退「つらい野球人生でした」

 広島の前田智徳外野手(42)=打撃コーチ補佐兼任=が27日、広島市内のマツダスタジアムで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。度重なる故障に苦しみ、最後は骨折した左手首の回復が長引き、決断した。目を潤ませながら「つらい野球人生でした」と振り返った。通算2119安打の天才打者は評論家として再出発する。10月3日、本拠地での中日戦で引退セレモニーが行われる。

 家族の話になると前田智も思わず目を潤ませ、言葉を詰まらせた。「『今度こそ引退するよ、ありがとう』と伝えると『ご苦労さま』と。分かってくれていた」。支え続けてくれた英美夫人と3人の子供を思い、こぼれそうになる涙をこらえた。

 球団史上最長、カープ一筋24年。満身創いの体にむち打ち代打稼業を続けてきたが、もう気持ちも体も限界だった。会見での第一声は「やっと終わったか。重圧から解放された」だった。

 「つらい野球人生だった」と言う。1年目から1軍で活躍。走攻守そろった外野手としてレギュラーに定着した2年目の91年はリーグ優勝、日本シリーズを戦った。

 だが95年、試合で一塁を駆け抜けた時に右アキレス腱を断裂。それ以降も両アキレス腱、両太もも、両ふくらはぎと、毎年のように故障した。下半身は、肌が見えないほどのテーピング。それがなければ、動くことができなかった。

 10年からは代打専任になり、勝負強い打撃でチームを救った。「(打撃の)内容的には褒められたものじゃないけど、去年、今年と年々、代打の喜びを感じてきた」。だがバットを置く致命傷になったのもケガだった。

 4月23日のヤクルト戦(神宮)で左手首に死球を受けプロ初の骨折。手術を受け復帰を目指したが、「振った感覚が自分のものじゃない。何回もはい上がっていかないと、とは思っていたけど今回は無理と思った」。8月下旬に引退を決断。松田オーナーに何度も直談判し、了承された。

 若き日のイチローもとりこにした天才打者は通算2119安打を放ち、生涯打率は・302。「プロである以上は結果が全て。(その)準備は全うできた」。侍の呼び名通りの求道者ぶりは、若鯉の手本だった。

 初のCS進出も一つの区切りになった。「低迷にピリオドを打った。その中にいなかったのは残念だけど、それが僕の運」。新時代カープの幕開けに、自身の仕事は終わったことを悟った。

 10月3日の本拠地、中日戦が最後の勇姿になる。引退後は評論家として再出発する予定。松田元オーナーは「将来は打撃コーチせえよと言った」と、いずれは指導者として迎えたい考えだ。「また会える日があればよろしくお願いします」。愛する赤ヘルに前田智はいったん、別れを告げた。

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