「大ざっぱにバットを持っていてヒットを打てるのか?」張本勲さんの素顔を知る内田順三氏が明かすエピソード 「本当にかわいがってもらった」
プロ野球の東映(現日本ハム)、巨人、ロッテで活躍した張本勲さんが9日に死去した。86歳だった。通算3085安打を記録した「安打製造器」。引退後は野球解説者としても大きな注目を集めたが、その素顔を知る内田順三氏(デイリースポーツ・ウェブ評論家)が知られざるエピソードを明かした。
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75年にトレードで日本ハムへ移籍したが、新しいチームでロッカーが隣になったのが張本さんだった。ある時、自分がロッカーにあったスパイクをきれいに磨いたことをきっかけにかわいがってくれ、在籍した2年間で大変お世話になった。「喝!」のイメージで豪快な人に見られていたかもしれないが、性格は非常に繊細で几帳面。ロッカーは衣類の肩を全て同じ高さになるよう並べ、私服の靴からスリッパ、スパイクまで丁寧に整頓されていた。
バットも大事にしていたね。ロッカーには6~8本のバットがあるが、毎日、全て持ち帰っていた。当時はバットケースを保管する場所もなく、湿気でバットが重くなる。それを嫌がって、全てのバットを車のトランクに置いていた。そこまでする人は珍しかった。「大ざっぱにバットを持っていてヒットを打てるのか?」と。バットは武士の魂という考え方で、日本刀を扱うようにしていた。
バット選びにもこだわっていた。メーカーの方からバットを受け取る際、10本程度の中から音や木目を確認して1、2本を使う。「いいバットは木目が22本とか23本なんだ。お前らのバットは細かくて線が40本くらいあるだろ?」と言っていたね。日当たりがちょうど良く、風通しのいいところに立つ木から作ることで、コンコンたたくと金属音がするようなバットがある。張本さんはそうしたバットを丁寧に選んでいた。
キャンプでは同部屋になったが、鉄アレイを置いていた。毎朝、その鉄アレイを手に乗せて、ゆっくりと負荷をかけていく。右手にハンディを抱えていたから、そこを動かして準備をするんだね。「ウチ、出ていけ」とも言われるんだけど、それは部屋でバットを振るから。それが毎日の流れだったね。
技術論も教わった。「ウチ、トップを早く作れ。バットは寝かせて、ボールのラインに入るようレベルに出していけ。足はシンプルに静かに出して打ちなさい」と。そうすればコンタクト率も上がるからね。セーフティーバントもうまかったけど、バットの出し方から足の運び方も研究していた。
私が引退後に長くバッティング指導に携われることになったのも、そういった張本さんからのさまざまな教えもあったからだと思う。技術だけでなく、ハートの部分でも大きな影響を受けた。本当にかわいがってもらったことばかりが、今も頭に残っているね。心よりご冥福をお祈りいたします。
