智弁和歌山 5年ぶり4度目V 中谷監督「感無量」史上初の元プロ監督夏2度目胴上げ 松本八回代打送りバントから逆転劇

 5年ぶり4度目の優勝を果たし、歓喜する智弁和歌山ナイン(撮影・西田忠信)
 ナインの手で胴上げされる中谷監督(撮影・坂部計介)
 8回、犠打を決める代打松本(撮影・中田匡峻) 
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 「全国高校野球選手権・決勝、智弁和歌山4-3健大高崎」(22日、甲子園球場)

 4万4700人の観衆を集めて決勝が行われ、智弁和歌山が健大高崎(群馬)を4-3で下し、2021年以来5年ぶり4度目の優勝を果たした。逆転2ランを許した直後の八回に、スクイズと暴投で逆転に成功。ヘルニアを患い、腰の手術から復帰した松本虎太郎主将(3年)は犠打で逆転劇を呼び込んだ。中谷仁監督(47)は21年夏に続き監督として2度目の甲子園優勝。プロ野球出身監督が夏の甲子園で複数回優勝するのは初の快挙となった。

 バットが空を切ると、夢は現実となった。マウンドに駆け寄った智弁和歌山ナインは、人さし指を突き上げて何度も何度も跳びはねる。中谷監督も最高の笑顔で「感無量です」と感慨に浸った。

 逆転2ランを浴びても諦めるわけがなかった。八回、先頭が死球で出塁すると、「ジョックロック」が鳴り響いた。楠本龍生内野手(3年)がポテンヒットでつないで無死一、二塁。ここで主将・松本が代打に送られた。「来たボールを、今までやってきたことを信じて」と初球で犠打を成功。すると、川原一将内野手(3年)がスクイズを決め、暴投で勝ち越しに成功した。

 松本にとっては苦しい道のりだったが、いつも中谷監督の言葉が救ってくれた。不調にあえいだ3月には自ら主将を辞めることを直訴。それでも指揮官からは「チーム内で一番、智弁愛が強いのは虎太郎。おまえがやるしかない」と背中を押され、思いとどまった。ヘルニアを発症し、6月30日には腰を手術。「無理やな」と復帰を諦めかけた時にも、「おまえが優勝旗を持って泣きながら甲子園を一周せえよ」と激励され、奮い立つことができた。

 夏の和歌山大会で復帰し、甲子園では「自分の結果より、チームが勝てばいい」と臨んだ。「虎太郎のために」と甲子園に連れてきてくれた仲間への感謝もこもった犠打だった。指揮官も「あのイニングは松本のバントで、逆転まで見えた。本当に魂のこもった素晴らしいバントでした」と目を細めた。

 チームは昨年のセンバツは準優勝も、夏の甲子園は1回戦敗退。秋季大会の準々決勝で近大新宮に敗れ今年のセンバツ出場を逃した。気持ちを落とした選手たちに、偶然にも現役時代同じ道筋を歩んだ中谷監督は「俺らの時も選抜を逃して、夏一本でやろうとみんなの意識が変わって優勝できた。おまえらも同じルート進んでいけるわけやから」と声をかけた。「その言葉にも救われました」と松本。指揮官と同じルートでつかんだ悲願の頂点だった。夏4度目の優勝はPL学園に並び5位と歴史も塗り替えた。

 試合後、インタビューに答える松本は涙が止まらなかった。深紅の優勝旗を受け取ると思いがあふれた。「いろんな感情が歩いてるときによみがえってきた。本当にここまでやり続けてきてよかった」。仲間と見たこの景色は、一生忘れない。

 ◆元プロ監督の夏複数回優勝は初 智弁和歌山・中谷仁監督は2021年夏に続き2度目の優勝。元プロ野球関係者で、甲子園複数回優勝の監督は池田・蔦文也監督の3度(春2、夏1)に続き、津久見・小嶋仁八郎監督(春1、夏1)と並び2位タイ。夏に複数回優勝は中谷監督が初。

 ◆中谷 仁(なかたに・じん)1979年5月5日生まれ、47歳。和歌山県出身。智弁和歌山の捕手として3度、甲子園に出場。主将として97年夏の甲子園で優勝。同年度ドラフト1位で阪神入団。06年に楽天、12年に巨人に移籍し同年に現役を引退。プロ通算成績は111試合で打率.162、4本塁打、17打点。14年に学生野球資格を回復し、17年4月から智弁和歌山のコーチ。18年8月に監督に就任し、21年夏の甲子園で優勝するなど春夏通算9度の出場。

 ◆松本 虎太郎(まつもと・こたろう)2008年4月26日生まれ、18歳。奈良県出身。173センチ、82キロ。右投げ右打ち、内野手。小学2年から田原本南リトルヤンキースで野球を始め、投手と捕手。田原本中時代は橿原磯城リトルシニアで投手、内野手、外野手としてプレー。智弁和歌山では1年夏からベンチ入りし、甲子園には1年夏、2年春夏、3年夏の4度出場。50メートル6秒3、遠投100メートル。

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