個人の愛称が球団名となった唯一の例は?【プロ野球記録企画】
デイリースポーツの記録担当がプロ野球のさまざまな記録をひもとく新企画「記録の向こう側」(随時掲載)がスタート。今回は個人の愛称が球団名となった唯一の例を取り上げる。
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1950年の2リーグ分立の際に球団を立ち上げた近鉄は、当初「パールス」と名乗っていた。沿線の三重県で真珠の養殖が盛んだったことにちなんだという。
ところが、発足後9年間の通算成績は434勝679敗31分け、勝率・390と低迷。真珠の輝きを見せられずにいた。
そこで球団は、巨人の名二塁手だった千葉茂を監督に招き、抜本的な改革に乗り出した。これに合わせ、チーム名の変更も決定。公募の結果、千葉のニックネーム「猛牛」にちなみ「バファロー」と決まった。千葉は旧知の友人、岡本太郎にペットマークの作成も依頼。個性的な模様がユニホームを飾った。
残念ながら、千葉監督率いるバファローは、3年連続最下位に沈んだ。最終年の61年に積み重ねた103敗は、現在もプロ野球ワーストとして残る。更新する球団は、まず現れないだろう。
62年に「バファローズ」と名を改めた球団は、その後4度のパ・リーグ優勝を達成。ただ日本シリーズではいずれも敗れた。初優勝の79年に広島と戦ったシリーズでは「江夏の21球」に屈するなど、悲運のイメージがつきまとった。2004年オフにはオリックスと合併し、姿を消した。
後継の球団に、その名は「オリックス・バファローズ」として残った。22年にはヤクルトとの日本シリーズを制し、ついに球界の頂点に立った。確かに近鉄球団は消滅した。だが、この年日本一に輝いたチームの名は、まぎれもなくあの「バファローズ」だったのだ。(デイリースポーツ・高野 勲)
答え…近鉄バファローズ
