最後の20敗投手は?【プロ野球記録企画】
デイリースポーツの記録担当がプロ野球のさまざまな記録をひもとく新企画「記録の向こう側」(随時掲載)がスタート。今回は最後の20敗投手を取り上げる。
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ライオンズ一筋だった東尾修は、福岡時代からチームを支えてきた。かつての強豪西鉄は、選手が八百長にかかわったとされる「球界の黒い霧」事件で弱体化。73年から「福岡野球株式会社」と体制を改め、球団名は太平洋クラブ・ライオンズに。そして77年からはクラウンライター・ライオンズとなっていた。
77年の東尾は、4月2日の日本ハムとの開幕戦で先発するも、負け投手に。ここから黒星を積み重ねてゆく。この年のチーム打率・249は12球団最低で、援護にも恵まれなかった。
東尾は翌年78年には23勝14敗1セーブと完全復活を果たしたが、近鉄のエース鈴木啓示が25勝で最多勝を逃す。チームは同年限りで福岡を去り、埼玉県所沢市へ移転。福岡最後のエースは西武球団創成期でも投げ続け、黄金時代の大黒柱となった。
現在のプロ野球ではローテーションが厳格に守られ、週に一度の先発が当たり前となっている。ローテーション投手が救援に回るなど、優勝争いの大詰めでたまに見かける程度だ。77年の東尾は、31試合先発、11試合にリリーフ。20敗という数字は、負けても負けても投げ続けた男でなければ届かないものでもある。
答…77年東尾修(クラウン)
(デイリースポーツ・高野 勲)
