岩瀬仁紀氏「幸せな野球人生」殿堂入りを祝う会 恩師・落合氏が明かした「3回の試練」乗り越え407セーブ金字塔
元中日投手でプロ野球記録の1002試合登板、407セーブを記録した岩瀬仁紀氏(51)の殿堂入りを祝う会が2日、名古屋市内のホテルで開かれた。球界関係者ら約500人が出席した中、現役時代に監督だった落合博満氏(71)らがスピーチ。絶対的クローザーは現役時代のマウンドと同様に、終始緊張した表情で感慨に浸った。
壇上で緊張した面持ちだった岩瀬氏の背筋がひときわグッと伸びた。視線の先には落合氏。8年間でセ・リーグ優勝4回、日本一1回と竜の黄金時代をつくりあげたかつての指揮官の言葉に耳を傾けた。
岩瀬氏にとって野球人生を変えた一人だ。中継ぎとして実績を積み、迎えた2004年。この年に就任した落合監督から抑えへの転向を言い渡された。「この時まで、先発をやりたい気持ちもありましたけど、抑えとして自分の役割をきっちりやるしかない」と腹をくくった。03年までで通算6セーブ。そこから積み上げた407セーブは通算1002試合登板とともにプロ野球記録として、金字塔となっている。
プロの世界の成功者。だが、順風満帆ではなかった。落合氏が明かしたのは「岩瀬には3回の試練があった」。一つ目は左足中指を骨折して迎えた04年の開幕、二つ目は北京五輪が開催された08年、三つ目は原因不明の肘痛に悩んだ15年だ。脅迫状まで届くほどの世間の強烈なバッシングに、思うように投げられない苦悩…。「三つの試練を乗り越えて今の岩瀬がある」とたたえた。
「30歳になる年に抑えを始めてそこから407セーブ。自分では全く想像していませんでした。周りの皆さんの助けがあって、20年間できました。幸せな野球人生ができたなと思います」。愛知県西尾市で生まれ、51年間愛知県内で育ったレジェンド。終始こわばっていた表情は、祝いの会が終わると緩んでいた。





