広瀬叔功さん死去 89歳、心不全 南海黄金期支えた名外野手 ノムさん評した「天才」通算2157安打

 広瀬叔功さん
 現役時代の広瀬叔功さん
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 南海(現ソフトバンク)で外野手として活躍し、監督も務めた野球評論家の広瀬叔功(ひろせ・よしのり)さんが2日に心不全のため亡くなったことが5日、分かった。広島県出身。89歳だった。葬儀・告別式は家族で既に執り行われた。走攻守三拍子そろった右打ちの外野手として南海の黄金期を支え、5年連続5度の盗塁王に輝くなど通算596盗塁はNPB史上2位。1999年に野球殿堂入りを果たした。

 南海の黄金期を支えた強肩、俊足、強打の広瀬さんが逝った。晩年は故郷の広島に戻り、野球評論家として活動していたが、近年は球場から足が遠のいていた。

 広島・大竹高から投手としてテストを受け、南海に入団した。1年目の夏前に右肘を痛めていたこともあり、野手転向を決意。自慢の快足を生かして外野手となったが、その後、遊撃手としてレギュラーをつかんだ。しかし、送球難もあって再び外野手に転じると、俊足と強肩を生かして大成した。

 1歳年上で南海黄金期の中心選手だった野村克也さんが「天才」と評した打撃は、通算2157安打。1964年には打率・366の高打率で首位打者に輝き、さらには自己最多の72個で盗塁王も獲得。本塁打王、打点王を獲得した野村さんとともに攻撃陣をけん引し、チームを日本一に導いた。

 通算596盗塁は歴代2位。61年から5年連続5度の盗塁王を獲得した。歴代1位、通算1065盗塁の福本豊の台頭などで、タイトルの数こそ伸びなかったが、盗塁数は順調に伸ばした。

 全身バネのような身体能力に加え、盗塁技術は高く評価されていた。「ムダな盗塁はしない」というスタイルで盗塁数にはこだわらず、勝負どころで走った。80%を超える盗塁成功率が、それを物語っている。

 晩年は控えに回る機会が増え、南海として最後の優勝となった73年は40試合の出場にとどまった。77年限りで現役を引退。同時に野村監督の解任を受け、南海の監督に就任した。野村解任騒動で一派とされた江夏、柏原らの主力が抜けたチームは低迷を続けた。広瀬さんが監督を務めた3年間は6、5、6位と成績は振るわなかった。

 監督退任後は故郷・広島の大先輩である鶴岡一人さんと同じNHKの野球解説者を務めた。91、92年には、南海を引き継いだダイエーのコーチも務めた。99年には野球殿堂入りも果たした。

 50年代後半から60年代にかけてチームの黄金期を支えた広瀬さん。強かった頃の南海ホークスを知る同世代の杉浦忠さん、皆川睦雄さん、野村さんのもとへと旅立った。

 ◆広瀬 叔功(ひろせ・よしのり)1936年8月27日生まれ。広島県出身。大竹高から55年に投手として南海にテスト入団。その後、野手に転向し、59、64年のチーム日本一に貢献した。61年から5年連続で盗塁王、64年には首位打者を獲得した。77年限りで現役を引退し、解任された野村監督の後任として監督を務めたが、チームは下位に低迷。80年シーズン終了後に辞任した。91年からダイエーの守備走塁コーチを2年間務めた。99年に野球殿堂入り。

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