中日・中田 最後までフルスイング締め 2012年「野球人生の転機」極度のストレスで体中に謎の湿疹
「中日2-6ヤクルト」(19日、バンテリンドーム)
中日・中田翔内野手(36)が19日、ヤクルト23回戦(バンテリンドーム)で引退試合に臨み、「4番・一塁」でスタメン出場した。初回の第1打席で空振り三振に倒れ、二回の守備に就き、1死となったところで交代。試合後は引退セレモニーが行われ、大歓声に包まれながら18年間の現役生活に別れを告げた。
惜別ムード漂うドームに、中田を呼ぶ声が聞こえる。こらえていたはずの涙が一粒、一粒とあふれる。サプライズの花束贈呈。「僕にとってお父さんと、お兄ちゃん」と言う栗山氏、稲葉氏の姿に涙腺は決壊した。「最後は野球を大好きで終わることができたな」。目を真っ赤に腫らした顔に笑みを作り、18年間の現役生活にピリオドを打った。
「野球人生の転機」と語る2012年。この年から指揮を執ることになった栗山英樹監督から「今年は翔で戦う。何があっても4番から外さない」と伝えられた。プロ入りから5年目。少しずつ芽生えてきた自信が重圧に変わる。開幕から5試合、24打席無安打。それでも4番は中田だった。
打席に立てば嫌でもスコアボードの「打率・000」が目に入る。ファンも、チームメートでさえも敵に見えた。打ち方、ルーティンだけじゃない。球場に行く道も変えた。そんなある日、体中に謎の湿疹が出た。妻に説得されて病院に行くと、「原因は極度のストレスだね」と診断された。手袋で隠してグラウンドに立った。特効薬は-ない。打つしかなかった。
「たとえが悪いけど事故ったら球場に行かなくていいかなとか。そんなことばかり考えていた。でも、気がついたら球場の駐車場にいる。自分で乗り越えるしかない。監督はそれを教えてくれた」
恩師の我慢で花を咲かせたプロ野球人生だった。「いま思えば、よく使ってくれたと思う。言葉ではお前を信じるって言えるでしょ。でも本当に信じ抜いてくれた。あの人がいたから、いまのオレがある」。不祥事があった21年。「もう一度、グラウンドに立つチャンスを作ってほしいんです」。当時、巨人の指揮を執っていた原辰徳監督に頭を下げ、トレードを成立させたのも栗山氏だ。
「夢は正夢」-。恩師の言葉を信じて戦ってきた。マウンドで胸に抱かれ、顔をうずめて泣いた。人は怪物と呼んだ。だが、酷使した体は限界だった。「2人の顔を見て、なにかホッとした。涙をこらえることができなかったな。でも、頑張ってきてよかったなと思いました」。激闘の軌跡、復活の奇跡に少しだけ胸を張る。中田翔、終演。最後は「大好き」なチームメートに支えられ、高く、強く6度宙に舞った。
◇中田 翔(なかた・しょう)1989年4月22日生まれ、36歳。広島県出身。184センチ、107キロ。大阪桐蔭から2007年度高校生ドラフト1巡目で日本ハム入団。21年シーズン途中に巨人移籍。24年から中日でプレー。12、16年のリーグ優勝、16年の日本一に貢献。打点王3度(14、16、20年)ベストナイン5度(一塁手=15~16、20年、外野手=13~14年)、ゴールデングラブ賞5度(一塁手=15~16、18、20、22年)。13、17年・WBC、15年・プレミア12日本代表。





