中日の伝説左腕が魔球誕生秘話を明かす 三振しない阪神・和田豊から見逃し三振 女房役は「特に巨人のバッターの度肝を抜いてました」
ユーチューブの「ピカイチ名古屋チャンネル」が9月30日に更新され、中日OBの今中慎二氏と中村武志氏が出演し、伝説のスローカーブ誕生秘話を語った。
1990年代の中日をエースとして支えた黄金左腕。球種はほぼ直球とカーブの2種類だけだったが、それでもテイクバックが小さく球の出どころが見にくい投球フォームから繰り出されるボールに巨人・原辰徳ら多くの名打者が打ち取られた。
今中氏といえば、大きく縦に割れるスローカーブが代名詞だが、これはプロ4年目の1992年4月17日の巨人戦で左手首に打球を受けて骨折し、手術を受けたことで会得したものだと明かした。
「リハビリで、もうキャッチボールしていいですよと言われたんですけど、手術したから、この動き(真っすぐを投げる手首の動作)が怖くて。でも、カーブを投げるのは怖くなくて。キャッチボールはカーブで肩を作って30メートル、40メートルと投げて。そこからブルペン入って投げ出したら、あれっ、このカーブ、今までと感覚が違うぞ」となって、ブルペン捕手からも「いい感じで抜けてるよ」と高評価を受けたのだという。
復帰戦となった8月17日の阪神戦。今までと違う大きな軌道に今中氏は「和田(豊)さんもビックリ、自分もビックリ、みんなビックリして。三振すること自体あまりないんですけど、あの人の見送りなんてあり得ない」と、好打者で知られる和田豊を見逃し三振に仕留めたと振り返った。
女房役の中村氏は「打てるワケがない。バッターから見れば、相当な(高い)ところから来てるんですよ。ボールと判断したらストライクだし、途中でボールが止まるというか、空中で空回りしてる感じ。特に巨人のバッターの度肝を抜いてましたね」と懐かしんでいた。





