東洋大姫路 14年ぶりの春 有終の藤田監督「やっと甲子園に戻れる」    

 センバツ出場を決め喜ぶ東洋大姫路ナイン(撮影・石井剣太郎)
 花を贈られ祝福される東洋大姫路・藤田監督(左)
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 「選抜高校野球・選考委員会」(28日、大阪市内)

 第94回選抜高校野球大会(3月18日から13日間、甲子園球場)の出場32校を決める選考委員会が28日、リモートで開催された。

 東洋大姫路(兵庫)が08年以来14年ぶり8度目の出場を決めた。藤田明彦監督(64)は、姫路市内の同校グラウンドで選手に「おめでとう」と声をかけると「やっと甲子園に戻れる。ありがとう」と声をつまらせた。

 のべ20年間コンビを組んだ三牧一雅部長(65)とともに、3月末での退任が決まっている。1977年夏に全国制覇した名門も、11年夏を最後に聖地から遠ざかっており「長い間、つらい日々を過ごした」と振り返る。

 恩師の思いを誰より感じていたのは教え子たちだ。主将の岡部虎尉内野手(2年)は、昨年8月に勇退を告げられ、翌朝ナインに「最後に甲子園で指揮を執ってもらおう」と話したという。その日から「意識が上がった」という転機が、秋の躍進につながった。

 140キロ超速球でチームをけん引したエースの森健人投手(2年)は、169センチの小柄な体を昨秋から3キロ増量してパワーアップ。「スピードも変化球の精度も大会トップレベルと争えるように頑張りたい」と意気込む。

 同校のセンバツ成績はベスト4が最高。同監督は「まず3つ勝ってそれに並びたい」と目標を掲げたが、選手は先を見据えている。「一日でも長く監督さんと野球をしたい。優勝を目指したい」と岡部は力強く誓った。

 ◇藤田明彦(ふじた・あきひこ)1957年2月13日、兵庫県西脇市出身。東洋大姫路では2度、甲子園出場。東洋大を経て社会人の東芝府中で外野手としてプレー。東芝府中のコーチ、監督を経て97年8月に母校の監督に就任。06年3月に一度退任し、11年に監督に復帰。甲子園には春夏通算5度出場し、03年春4強。11年夏8強。原樹理(ヤクルト)、甲斐野央(ソフトバンク)らを育てた。家族は妻と2女。

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