名伯楽も驚いた巨人・松原の成長 高校メンバー外から進化の要因 内田順三氏の視点
首位を独走する巨人で、松原聖弥外野手が攻守で存在感を示した。8月27日のヤクルト戦では強肩を生かしてライトゴロを完成。3日のDeNA戦では右翼席へプロ1号も放った。仙台育英時代は3年夏にメンバー外だった男が、成長を遂げた要因はどこにあるのか。巨人コーチとして松原を指導していたデイリースポーツウェブ評論家・内田順三氏に聞いた。
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3日にパットンから放ったプロ1号3ランには驚かされたね。打ったボールは150キロの内角高め直球だったが、松原はインサイドの速い球を苦手にしていたはずだったから。この一本には成長を感じたし、指導していたひとりとしてうれしかったね。
松原はとにかく足が速いという一芸を買われ、16年育成ドラフト5位で入団してきた。大学出身(明星大)だったが、走攻守において荒削りで、高校出身のような選手。外野守備でもファンブルしたり、スローイングでとんでもないところに投げたりと、ポカが多かった。外野手だけど内野ノックでゴロ捕球の基本を染みこませるなど、野球に対する考え方やひとつひとつの動作を徹底的にたたき込んだのが当時3軍の川相監督だった。
走塁にしても足は速いがスタートが悪い。1年目は3軍で、とにかくスタートさせる勇気をつけさせるために点差、イニング関係なくスタートさせて45盗塁。18年の春季キャンプはその能力に目をつけた高橋監督が1軍の春季キャンプに抜てきしたが、まだスピードについてこられず、その年は松本(哲也)からも指導を受け、クイックやけん制のレベルが上がる2軍で少しずつ技術を上げていった。
打撃は逆方向へいい打球を飛ばしていたが、スイングの際に強さを求めすぎて右肩が入る癖があり、バットの軌道が下から入り、内角が打てない。内角を引っ張ろうと意識すると、かかと体重になって今まで打てていた外の球が打てないという悪循環だった。それが、パットンから打った一発に関してはバットが内から最短距離で出ていたし、かかと体重にもなっていない。反応でしっかり打てていたところに、技術の進歩が見られた。打席に入る際に左肘を入れるしぐさを繰り返し、最短距離で出そうと意識付けしていたが、その努力が実を結んだね。
ただ、本塁打を放った後は16打席ノーヒット(8日現在)。強振と内側の意識が強くなると、ステップ幅が広くなってかかと体重になり、選球眼が荒くなる傾向になる。長打が出ても、彼本来のバット軌道はセンター中心から左中間が好調の目安と思う。まだまだ発展途上の選手。自分の特長を生かすこと、自分が今できることを現場で夢中ですれば良いと思う。