広島新庄の未来に希望の光 コロナ禍直面も自分の道を…迫田前監督手記

 「高校野球交流試合、広島新庄4-2天理」(11日、甲子園球場)

 今年3月末まで広島新庄監督を務めた迫田守昭氏(74)は広島市の自宅でテレビ観戦し、聖地で躍動する教え子たちの姿を目に焼き付けた。広島商、広島新庄を春夏通算6度、甲子園に導いた“名将”が、デイリースポーツに手記を寄せた。

  ◇   ◇

 ミスもいろいろあったが、最終的に勝つことができたのは本当に良かった。試合前のノックでも選手はキビキビと動いていたし、落ち着いていた印象を受けたので、そのまま試合に入ってくれればと思っていた。天理は強力打線だが、何とか投手陣が2、3点に抑えれば勝機があるのでは見ていた。その通りの展開になった。

 当初は私も甲子園のスタンドで観戦する予定だったが、最近のコロナの状況を鑑み、自宅でテレビ観戦させてもらうことにした。テレビの前では何度も声が出てしまった。見ているというのは本当にしんどい。グラウンドで指揮している方がはるかに楽だということが分かった(笑)。

 今春のセンバツでは彼らと一緒に甲子園に行く予定だった。世間の下馬評では新庄の評価はかなり低かったと思うが、私はひそかに手応えを感じていた。過去を振り返ってみても甲子園に自信を持っていけたという記憶はほとんどないが、今年のチームは意外にしぶとく勝ち上がっていけるのではと期待していた。それだけの力はあったということを、この試合は証明してくれた。

 センバツに続き、夏の甲子園も中止。新庄に限らず、全国の3年生の球児にとっても本当につらい経験となったし、国民の皆さんの記憶にも「大変な思いをした選手たち」というふうに刻まれたと思う。だからこそ選手たちは今後、野球を続ける、続けないに関係なく、しっかりと自分の道を歩んでいってもらいたい。周りから「あの時のつらい出来事を乗り越えてよく頑張っているね」と言ってもらえるような人間になることが、コロナ禍で励まし、支えてくれた方への恩返しにもなる。

 選手たちがプレーする姿を見ていて、改めて新庄の監督に就任した13年前のことを思い出した。部員は20人足らず。甲子園なんてまったく想像もつかない弱小チームだった。甲子園への道を山登りに例えると、当時のチームは山登りの道具はなく、甲子園に出たOBもいないため、道しるべもない状態。あっちこっち山道に迷いながら、登っていくしかなかった。

 私自身も広島商での厳しい指導は通用しないことが分かり、選手を伸ばすためにはどうすれば良いか、毎日のように苦悩した。そして、たどりついた結論が褒めて、褒めて、褒めまくることだった。そこに学校の理解や保護者の協力、地域の応援が加わり、今こうして甲子園を狙えるチームにまで成長することができた。昨夏の広島商のように伝統校が久しぶりに甲子園に行くのとはわけが違う。無名校がゼロから甲子園に行くことの方が何百倍も難しい。歴代の選手たちの素晴らしい頑張りがあったからこそ現在の新庄がある。

 広島商監督時代の教え子で、私の下で新庄のコーチを長く務めた宇多村監督という後継者も育ち、私は身を引くことになったが、この日の戦いぶりを見て、新庄の未来に希望の光を感じた。今後は陰ながらチームを応援していきたい。

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