緒方選手から得た盗塁極意「ケツを汚せ」
2013年1月22日
30個も走れたのは、笘篠賢治守備走塁コーチのおかげです。「カネ、アウトになってもいいぞ。責任はオレがとる」。笘篠さんがそんなふうに言ってくれたおかげで積極的になれたのです。三村敏之監督(94~98年)のときも、盗塁のサインはよく出ていました。でも、アウトになったら怒られるという気持ちがまず先にありました。達川光男さんが監督になられたシーズン(99年)は大下剛史ヘッドコーチに怒られるのが怖くて、ちゅうちょすることが多かった。大下さんから「走れよ!」とは言ってもらいましたけど、状況的にどうかなというときは、やっぱりためらってしまって…。そういうときにも走れたのは、笘篠さんがベースコーチになってから。気持ちの部分がとても大きかったのだと思います。
あいつはそこそこ足が速いのになぜ盗塁の数が伸びないのか。そんなふうに言われたことがありました。そこで参考にしたのは、95年から3年連続盗塁王のタイトルを獲得した緒方孝市選手のスライディング。たまたまニュースで見た彼の盗塁がヒントになりました。
あれ?オレのスライディングとは全然違う。緒方の盗塁はケツまでユニホームが汚れとるのに、オレは汚れとらん‐。僕の滑り方では、泥がつくのはひざから下だけで、お尻は真っ白でした。映像で見くらべると、僕はスピードがめちゃくちゃ落ちて、緒方選手は落ちなかったのです。
長女誕生の日に1000本安打達成!(2月6日)
特別だった巨人戦…打たにゃいけん理由(2月5日)
トリプル3達成、下向いてベース回った(2月4日)
連続無併殺打記録の途切れ方は…(2月3日)
“邪魔”したディアス、恨んでゴメン!(2月2日)
王さんのスピーチで、さらなる向上心(2月1日)
何より胸張れる連続無併殺打(1月31日)
生みの苦しみ…最終戦でやっと出た30号(1月23日)
緒方選手から得た盗塁極意「ケツを汚せ」(1月22日)
小料理屋さん夫婦に作ってもらった秘薬(1月21日)
必死のヘッスラでプロ初盗塁も監督激怒(1月20日)
松井選手のえげつない場外弾 僕のは…(1月19日)
プロ1号の大切なバットがどこにもない(1月18日)
天才が「金本さんなら20本は打てる」(1月17日)
目標は怒られない…変な野球選手だった(1月16日)