甲子園100周年 阪神・粟井球団社長インタビュー 松井秀喜君が「歴史と伝統残して。少しくらい不便でも我慢する」
阪神甲子園球場は8月1日で開場100周年を迎える。2007年10月から実施された大規模改修工事をリニューアル担当課長として先導し、球場長も歴任した阪神の粟井一夫社長(60)がインタビューに応じ、「聖地」の思い出や魅力を余すことなく語った。
-幼少期、甲子園の思い出は。
「高校野球が大好きな祖父に、よく連れて行ってもらっていた。5歳の時(1969年)に延長十八回で再試合になった松山商(愛媛)と三沢(青森)の試合も見に行っていたと、後に家族から聞かされた。ただ、野球の中身はあんまり分かっていなくて、ここ(甲子園)に来て、おじいちゃんとカレーを食べて、アイスクリームを買ってもらう。それが楽しくてついて行っていた(笑)。1984年に母校の三国丘(大阪)が選抜に出場した時には初めてアルプス席で応援した」
-1988年の阪神電鉄入社後、甲子園との関わりは。
「最初の10年間は阪神パークや新規事業のレストランなど、いわゆるレジャー業を担当していた。野球とは直接関わりはなかったが、死に物狂いで『どうやったら稼げるのか』と考えて仕事をしていた。その経験が野球のビジネスに役立った。98年に本社へ戻って野球の担当もするようになり『まだまだやれることがあるやん。なんでやってへんの』という思いになった。まずは球場のチケットシステムを企画、稼働させた。場内の飲食・グッズ販売や広告などの事業系で奔走した。当時は95年の阪神・淡路大震災で大ダメージを受けて、グループの経営自体がしんどかったが、少しずつ余裕が生まれ、野球にもお金をかけて、勝ってファンに喜んでいただくという空気が動き出した。その集大成がリニューアル工事につながった」
-2007年10月から実施されたリニューアル工事で大切にしたものは。
「社内ではドーム球場への建て替えという選択肢が以前からあった。工期やコストを不安視して『銀傘を取れ』という役員もいた。04年に米国視察へ行った時、当時ヤンキースの松井(秀喜)君やパドレスの大塚(晶文)君、マリナーズの長谷川(滋利)君らに会って話を聞けた。松井君は『古い球場の良さ、歴史と伝統みたいなものは、できるだけ雰囲気を変えずに残してほしい。少しくらい不便でも我慢する』という話をしてくれた。それを持ち帰って『歴史と伝統はお金では買えない。残すべきものは残した方がファンの皆さんからも支持されるはず』と社内で徹底的に訴えて、リニューアルの方向になった。『歴史と伝統の継承』に加えて、耐震補強など『安全性の向上』、お客さまだけでなく選手、関係者も含めた『快適性の向上』をコンセプトに掲げて工事を進めた」
-09年4月から13年3月まで務めた球場長時代の思い出は。
「11年の東日本大震災が発生した直後のセンバツを開催できたこと。創志学園(岡山)の野山慎介主将の選手宣誓は一番印象に残っている。こんな時に野球をやっていいのかという、日本中の空気を一変させてくれた。ああいう発信をしてくれた高校球児に対して本当に感謝したい」
(続けて)
「運営上では10年夏の興南(沖縄)と東海大相模(神奈川)の決勝。沖縄県勢初優勝が懸かったこの日は、球場前に朝から7000人が並んだ。(長蛇の列で)甲子園駅の改札が詰まるのを初めて見た。これは事故が起きる可能性があると考え、予定より1時間25分繰り上げ、午前8時35分に開門した。さらに試合開始4時間前の午前9時に『満員通知』を出した。リスクもあったが、結果的には良かった。あの時のことは、いまだに忘れられない。松坂(大輔)君が出場した(1998年夏の)第80回大会でも3~4000人だった。過去のオペレーションのデータがあるので『危ない』という判断ができる。それも歴史と伝統を継承しているからこそ」
-甲子園の魅力とは。
「『心のふるさと』みたいなものかなと思っている。自分の出身校が出場する可能性もあって、ノスタルジックな気分にもなれる。ふるさとを思う気持ちのベースになっている。そういう場を提供できているというのは非常にうれしいこと。高校野球で甲子園を目指した選手がプロ野球にきて、甲子園をリスペクトしてくれていることもうれしい。タイガースも来年、球団創設90周年で、90年この場所でやっているということで、生活の一部、コミュニティーの中に溶け込ませてもらっていると思っている。関西にゆかりのある方にとって、『心のよりどころ』みたいにしていただいているんだろうなと。だからこれを絶対につないでいかないといけない」
-次世代に向けて甲子園はどうあるべきか。
「プロ野球の場として、高校野球の場としてもあり続けないといけない。次の10年、100年へ、これを維持すること。夢物語みたいな話をすると、少子化で子どもが減っていく中で甲子園がさらに踏み込んでできることを考えている。野球振興は絶対にやっていかないといけないが、例えば女子高校野球や、先日はじめて開催された大学の準硬式などのように、甲子園で決勝戦だけでもどんどんやってもらえればいいと思っている」
(続けて)
「さらに言うと、もともと『大運動場』という名前でつくられたので、野球だけでなく、スポーツ振興の発信地となるような活動も増やしていければいい。甲子園で子どもたちにマルチスポーツを経験してもらう場を提供できれば。甲子園は100周年に際し、『日本一の野球場』『日本一愛される球場』『日本一を決める場としての球場』という三つのコンセプトを掲げている。球場の成り立ちや歴史を考えたら、野球に迷惑をかけない範囲でいろんなことをやるべきで、それが巡り巡って、これからも甲子園やタイガースを支持してくださることにつながると思っている」
◆粟井一夫(あわい・かずお)1964年7月17日生まれ。60歳。大阪府堺市出身。金沢大経済学部卒業後、88年に阪神電鉄入社。レジャー事業部企画課長などを経て、2009年4月から13年3月まで第26代甲子園球場長。同年4月から球団常務取締役など要職を歴任。17年12月に阪神電鉄執行役員。22年4月から球団副社長を務め、24年1月から球団社長に就任した。
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