阪神OB藤田平氏 新人時代の監督、杉下茂氏を悼む “杉下ノート”で野球の考え整理できた

 “伝家の宝刀”フォークボールの握りを藤川(右)に伝授する杉下茂さん=2008年2月7日、宜野座
 審判に抗議する阪神・杉下監督=1966年
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 「フォークボールの神様」と呼ばれ、現役引退後は中日、阪神で監督も務めた杉下茂さんが12日、間質性肺炎のため東京都内の病院で死去した。97歳だった。同氏の阪神監督時代に選手として指導を受けたデイリースポーツ評論家・藤田平氏(75)が当時の思い出を明かした。

  ◇  ◇

 新人時代に勉強させていただいた監督だった。1965年の第1回ドラフトで私は2位指名を受けて阪神へ入団。普段の杉下監督はニコニコして怒ったところを見たことがなかった。その一方、野球には厳しい方だった。

 あの頃は試合が終わる度、反省や思ったことなどをノートにつづり杉下監督に渡していた。翌日になると、杉下監督から『見ました』という意味でハンコを押されてノートが返ってくる。その繰り返しだ。試合で感じたこと、反省したことをすぐに思い返すことで野球に対する考えを整理することができた。

 66年は高卒1年目でありながら68試合で使ってもらえた。ベテランの吉田義男さんの『後継者を育てたい』というお考えとチームの流れもあった。いくらエラーしても我慢強く使い続けてくれた。

 今回の訃報には驚いた。感謝してもしきれない。プロ1年目があったからこそ長く現役ができたと思う。心よりご冥福をお祈りします。

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