【阪神ドラフト選手特集・森下翔太(2)】節目節目で自ら決断、選んだ道を突き進む

 10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~6位・育成1位)の連載をお届けする。初回はドラフト1位の森下翔太外野手(22)=中大=の打撃がいかに作られたかを、幼少期から振り返る。

  ◇  ◇

 将来、大きく羽ばたいてほしい-。父・善文さん、母・ゆりさんは、そう願って翔太と名づけた。午後0時41分に身長51センチ、体重3042グラムで誕生。生後1カ月で通常の2倍ほどの速度で体重が増加するなど、健やかに翔太は成長していった。

 初めて夢中になったスポーツは野球ではなく、サッカーだった。「保育園の時に『サッカーをやりたい』て言ってきて」とゆりさん。後日、横浜Fマリノスのスクール体験に行ったが、希望する曜日のレッスンはキャンセル待ちの状況。共働きであったことから他の曜日で通わせることは難しかった。

 翔太に伝えると、「分かった」とあっさり受け入れたという。「あそこで(スクールに)入っていたら、野球はやっていなかったかも」とゆりさん。翔太にとって人生の最初のターニングポイントを迎えた瞬間であった。

 元球児で、どうしても野球に興味を持たせたかった善文さんは、野球盤や野球のテレビゲームで翔太と遊んだ。「野球のルールはゲームで教えましたよ」とタッチアップなどの細かいルールは野球ゲームを活用して指導。翔太の野球熱は徐々に高まり、小学校入学前に少年野球に入団してからは、夢中で白球を追いかけるようになった。

 中学進学時には複数の硬式野球チームの見学に行き、練習が厳しい戸塚シニアを選択。小学校のチームメートで同チームに入る友人はいなかったが、「俺、一人で行く」と自分の意思でいばらの道を選んだ。

 東海大相模時代は3年時のセンバツでベスト4。当時もドラフト候補に挙がっていたが、プロ志望届は提出しなかった。「プロに入ることじゃなくて、活躍することを目標にしていたので。ギリギリまで悩んでいました」と善文さん。この時も上位の評価でプロ入りを果たすべく、自らが大学進学の道を決断。それぞれのカテゴリーで自ら選んだ道を突き進み、ドラ1の称号を手に入れた。

 「これからも自分の夢を追いかけてほしい。応援するだけです」とエールを送ったゆりさん。次は虎戦士として、翔太は思い描く道を歩み続ける。

 ◆森下翔太(もりした・しょうた) 2000年8月14日生まれ、22歳。横浜市出身。182センチ、90キロ。右投げ右打ち。外野手。日限山小1年から野庭日限フェニックスで野球を始める。日限山中時代は戸塚シニア。神奈川・東海大相模では3年時にセンバツ4強。中大では1年春からレギュラーで、同年夏に大学日本代表入り。東都大学リーグでベストナイン2度。大学通算9本塁打。

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