佐藤輝×甲子園の“縁”阪神入団前から“道”が存在した 毎年憧れ聖地へ走った高校時代
「阪神4-0DeNA」(5日、甲子園球場)
甲子園を本拠地に戦う阪神・佐藤輝明内野手(23)は仁川学院時代に甲子園出場はなく、聖地は遠い場所だった。だが、高校時代と甲東小時代に甲子園にまつわるエピソードがあった。佐藤輝×甲子園の“縁”を紹介する。
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高3の夏は明石清水高に五回コールドで兵庫大会1回戦負け。佐藤輝にとって聖地は遠い場所だった。ただ、高校時代は聖地へ訪れる“イベント”があった。毎年1月4日の野球部始動日。仁川学院から甲子園までランニングするという“甲子園の道”が存在した。
仁川学院から甲子園まで約6キロ。佐藤輝は走ることは苦手だったが、仲間と高校から見て南に位置する球場を目指し、走ったのは忘れられない思い出だ。
甲子園に到着すると野球部全員で周辺のゴミ拾い、ボランティア活動を実施。入団前から甲子園に“縁”があったことも、聖地に導かれる要因となったのかもしれない。
甲東小時代にも聖地との縁があった。幼い頃からスタンドで甲子園カレーやジャンボ焼き鳥をほおばりながら、虎戦士のプレーにくぎ付けになっていたが、小6時に憧れの舞台に立つ機会が訪れる。
西宮市は市内の小学6年生らを対象に連合体育大会を甲子園で開催する。当時、少年野球チーム・甲東ブルーサンダースに所属していた佐藤輝にとっても至福の瞬間。父・博信さんは「甲子園に(阪神戦の)応援も行ってましたけど、そういう姿もありましたね」と組体操や、うれしそうにグラウンドを駆け回った息子の姿を思い返していた。
今は夢を与える立場となった。「僕自身も小さい頃はよく甲子園に行きました。地元の子どもたちとかにも見に来てもらえたらな」。聖地との縁を忘れずに、地元を背負って戦っていく。(デイリースポーツ・関谷文哉)
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