原口「治療しながらでもスポーツができる」「伝えるのが僕の使命」【一問一答】
阪神の原口文仁捕手(27)が24日、兵庫県西宮市の球団事務所で会見した。今年1月の大腸がん手術後、初めて闘病の経緯など詳細を公表。術後宣告されたステージは「3b」だったことを明かした。病気で悩む人々が「オレも、私も」と、闘う理由を見つけてほしいと、包み隠すことなく赤裸々に告白。「使命」あるプロ野球選手として、懸命に活躍と発信を続けていく。
◇ ◇
(冒頭に原口本人から)
「そんな深刻ではないんで、ポップな感じで聞いてくださいね(笑)」
(その後に経過などを説明)
「見つかった時は先生方も早期発見ではないかという話だったんですけど、病理検査などでステージが『3b』だったというのを手術が終わってから先生に伝えてもらいました。僕自身も驚きでしたね。そこまで進んでいたので抗がん剤の方もスタートしないといけないという話になって。野球をやりながらでも治療ができるようにと、錠剤の抗がん剤を7月9日まで。ちょうどその日がオールスターのプラスワン投票の発表日と重なっていて、ダブルですごくうれしかったというか」
-抗がん剤の副作用は。
「僕の場合はそこまではっきりと出なかった。ただ食べる方でアレルギーが、今までなかったんですけど。そういう体質の変化っていうのはすごく出てきましたね」
-抗がん剤治療をしながら1軍でプレー。
「そこの部分でも先生が背中を押してくれて。体調が問題なかったら好きな野球をどれだけやっても問題ないよということを言ってくださったので」
-抗がん剤治療を知っていたのは。
「首脳陣は監督までだと思います。監督とトレーナーさん」
-このタイミングでの公表に。
「シーズン中からどのタイミングがいいのかなって考えてまして。先日チャリティー先に訪問した時にも、やっぱり(病気の)子供たちが頑張っている姿っていうのはすごく僕が勇気づけられたというか。そこの院長先生から背中を押してもらうような言葉もかけていただいて」
(続けて)
「発表するのが良くないんじゃないかっていう意見もあったんですけど。やっぱり一番最初に発表した時に『使命』と自分で言って…発表することによって、治療しながらでも仕事復帰できるだとか、スポーツをやれるとか、そういうところを伝えられたらなっていう思いで発表したいなと考えました」
-学んだことは。
「命って限りがある。いざこの年齢で間近にきて、そういうものを感じましたし。今まで生きてきた人生で本当に満足だったのか。まだまだ何かできたんじゃないか、とか。そういうのはすごく思って。もっと大切に時間を使わないと、と思ったりもしました」
-病気を経て野球においての変化は。
「今までは野球で悩むこと、結果が出ないことはつらいこと。でも、考え方ひとつで幸せに思える。自分の悩みが小さく感じたり。だからもっとやればいい。時間はたくさんあるし、やれることをやろう。自分の好きなことを思いっきりやろうと」
-つらい思いをしている方は熱中できることを見つけてほしい。
「なかなか熱中できることって見つからないと思いますけど。見つかった時は、人生が変わるタイミングだと思うので。1人でも多くの人に見つけてもらって、人生を楽しんでもらいたいですね」