【芸能】タブ純が一発屋ではない理由

 昨年のどぶろっくから今年のクマムシへと数々の歌ネタ芸人がお茶の間に登場する中、“ムード歌謡漫談”という唯一無二の芸で異彩を放つタブレット純(41)が、初の冠番組を自身の原点であるラジオの世界で持つ。「タブレット純の浜松町ナイトクラブ」と題し、文化放送で9月26日午後8時~9時に放送される。その収録に立ち会う中で、彼本来の姿と将来性を3つの要素で確認してきた。

 まずは彼の経歴を紹介しよう。幼少時からAMラジオで歌謡曲に目覚め、思春期は中古レコード収集と研究に没頭。古書店勤務などを経て、27歳でムード歌謡の老舗グループ・和田弘とマヒナスターズに加入。田渕純の芸名で2年間、和田氏の死去まで最後のボーカルとして在籍した。

 その後はソロ歌手としてスナック回りやライブハウスで歌い、インディーレーベルから「夜をまきもどせ」という隠れた名曲を出した後、2011年から現在の芸名に改めて寄席に進出。修行の場となった浅草東洋館といえば、その前身は渥美清、萩本欽一、ビートたけしらを輩出した伝説のストリップ劇場・フランス座。“昭和”の臭いが染みついた劇場(こや)で歌と漫談、自筆の似顔絵と声帯模写(レパートリーは大沢悠里、永六輔、小沢昭一、鈴木史朗、広川太一郎…と“ラジオ愛”に貫かれる)を融合した芸を練り上げ、不惑を迎えてテレビに進出した苦労人だ。

 (1)ムード歌謡の継承者。

 今年9月に歌ネタのフレーズを使った「そんな事より気になるの」(テイチク)でソロとしてメジャーデビューしたが、そのカップリング曲(アナログレコードならB面)の「浜松町ナイトクラブ」もいい。本人が「古き良きムード歌謡黎明期の雰囲気を知る人には懐かしく、知らない人には新しく感じ取って頂けたら幸いです」とアピールする“本寸法”のムード歌謡だ。

 フランク永井や石原裕次郎もその系譜にあるムード歌謡という世界が“絶滅危惧種”にある中、「ぬるっとした深海に漂うくらげ」(本人談)の心持ちで濃密な闇のある世界をディープに歌う。同曲の詞はラジオパーソナリティーの吉田照美と、娯楽映画研究家&オトナの歌謡曲プロデューサーとして多くのCDを手がけた佐藤利明氏の共作。今回の番組「浜松町~」はこの3人が出演し、“タブ純”(以下この愛称で)の音楽遍歴や歌へのこだわりが語られる。

 タブ純は「マヒナの時は声帯模写的に歌っていた感覚があるのですが、今はボイストレーニングに行って、初めて歌手というものに向き合ってる状況です」と明かす。吉田は「正統派ムード歌謡の継承者。芸人でリボーン(再生)し、歌の世界に戻ってきた」と評した。スタジオはタブ純のモノマネによる“ダブル照美”で不思議な世界を醸し出した。

 (2)作曲家としての隠れた実力。

 新曲はいずれも自身の作曲。さらに時代に埋もれた昭和ムード歌謡の逸品を発掘した、タブ純選曲のコンピレーションアルバム「夜の贈りもの」(9月30日発売、日本コロムビア)には、ボーナストラックとしてお笑いコンビ・阿佐ヶ谷姉妹のために作曲した「おしぼりをまるめたら」が収録されている。一度聴くと、どこか懐かしく、キャッチーな旋律が頭から離れない。

 タブ純は「今(バラエティー番組で)ちょっとワケが分かんない感じになってますが(笑)、もともとは作家的なことがやりたかったので、そういう線がつながっていけば。歌の在り方が変わり、今はカラオケで歌いやすいものが求められますが、聴いて心に残る歌を残したい。演者として出る時も作曲家という『核』を持っていきたい」と未来図を描く。佐藤氏は「タブ純には作曲家になってもらいたい。昭和歌謡を現代に作るセンスがある」と期待を込める。

 (3)昭和文化の語り部。

 昭和49(1974)年生まれのタブ純だが、生まれる前の昭和30~40年代半ば頃の音楽に詳しく、かねて音楽研究家的な仕事を志向してきた。そこで筆者はあえて歌謡曲以外の、GSとフォークの隠れた名曲というお題でお薦めを聞くと…。

 「GSでは『ザ・ピーコックス』という、タイガースのような王子様路線で少女趣味の極地みたいなグループに『妖精の森の物語』(68年)という歌があって、GSを知るにはその曲もいいんじゃないかと。フォークだと『ザ・ムッシュ』(※70年代前半の関西でアリスと人気を二分)ですね。エレックやURC(※名盤を輩出したレコードレーベル)にいたグループで、当時はかなり人気があったのに、今はあまり再評価されていないんですが、『泣き虫ロポポ』という曲が心に響きます。これは隠れた名曲なんじゃないかと」

 さらに国際プロレスのマイティ井上、大相撲では“花のニッパチ組”の麒麟児に思い入れがあり、昭和のプロ野球選手や力士が出したレコードにも詳しい。「当時、野球選手のレコードはなぜかムード歌謡。(元横綱)北の富士さんはテイチクで…(※67年に「ネオン無情」というシングルを出している)」と話は尽きない。時代を間違えて(?)遅く生まれてしまった昭和文化の語り部としての活動にも期待したい。

 以上、3つの要素において、彼にはテレビのバラエティー番組で消費されても揺るがない「核」がある。“ムード歌謡の貴公子”は一発屋では終わらない。その方向性は50~60代になって熟成したものを開花させるタイプであり、40代の今は過渡期なのだと思う。

 (デイリースポーツ・北村泰介)

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