強行出場の遠藤、悪化しないことを願う

 連日の熱戦に沸いている大相撲夏場所(東京・両国国技館)だが、人気力士の遠藤(追手風部屋)が苦しんでいる。このコラムを書いている6日目終了時点で、白星なしの6連敗。今場所から大銀杏(おおいちょう)を結って土俵に上がっているが、なかなか白星に手が届かない。支度部屋でもじっと目を閉じて無言のままで、重苦しいムードに包まれている。負傷している左膝にサポーターやテーピングなど一切付けず、美学を貫く姿勢は素晴らしいが、また悪化させたらとファンはヒヤヒヤしながら見ている。

 遠藤は3月の春場所5日目の松鳳山戦で突き落としで勝ったものの、土俵際でもつれた際にひねった左膝に相手の体重がもろに乗っかかってしまった。そのまま土俵下に落下すると自力で立つことはできず、車イスで館内の医務室へ直行。さらに堺市内の病院でMRI検査など受けた。その結果、「左膝前十字じん帯損傷、左膝外側半月板損傷で2カ月の加療を要する」と診断されて翌6日目から途中休場。もちろん春巡業も全休して治療とリハビリに専念した。

 不幸中の幸いで、じん帯は完全断裂ではなく手術はせずに回復を待った。4月に入ってからまわしを付けて土俵に下り始め、四股やスリ足など基礎運動をできるようになった。とはいえ、4月27日の夏場所の番付発表の時点でも稽古のペースは上がらず、同29日に国技館で行われた横綱審議委員会の稽古総見への参加も見送った。このままでは夏場所の出場は無理だと誰でも思っただろう。

 ところが、5月に入ってから立ち合いの確認をする稽古を始め、そして5月5日に負傷後に初めて土俵に入り幕下以下の力士を相手に12番取った。そこで「思ったより体は動いている。今のところは出る方向でいます」と出場する意向を表明する。ほぼぶっつけ本番の強行軍となるが、「(ケガの状態は)良くも悪くもなっていないけど、どんどん良くなると想定していく」と出場を決断した心境を説明した。西前頭5枚目だった春場所で4勝2敗9休に終わり、夏場所は西前頭9枚目まで番付を下げている。もし全休なら十両への陥落は免れない。最低4勝すれば幕内残留のメドが立つという思惑もあったのだろう。

 しかし、勝負の世界は甘くない。負傷の影響からいつものような下半身の粘りが見られず、押し込まれるといっぺんに土俵外に運ばれてしまう。北の湖理事長(元横綱)は「ひとつ勝てば流れは変わると思うが、そのひとつの勝ち星に恵まれない」と苦戦が続くホープの心情を慮る。

 力士にケガはつきものだ。そして、「土俵のケガは土俵で治せ」という格言があるように、負傷をおして土俵に上がった例は数多い。その北の湖理事長も新関脇だった1973(昭和48)年11月場所12日目の富士桜戦で左足首を負傷。骨折の重傷で周囲は休場を勧めたが、そこまで9勝していたため出場に固執。13、14日目は連敗したが、千秋楽に勝って2ケタ勝利を到達した。翌74年1月場所に14勝1敗で初優勝して大関に昇進。その後、大関を3場所で通過して、同年7月場所後には21歳2カ月で史上最年少での横綱に推挙された。もし左足首を負傷した時に休場していたら…。まさにターニングポイントとなった分岐点といえる。

 また、横綱貴乃花は01年5月14日目の武双山戦で巻き落としで敗れた際に右膝に重傷を負った。翌日の千秋楽に周囲の制止を振り切るように強行出場。優勝決定戦で武蔵丸を破り22回目の優勝を決めたシーンは、まだファンの記憶に鮮烈に残っているだろう。だが、その代償も大きかった。翌場所から歴代の横綱で最長となる7場所連続全休。復帰した02年9月場所では奇跡的に優勝争いを演じて12勝を挙げたものの、その反動から翌場所は再び全休。進退をかけた03年1月場所は3日目から途中休場↓5日目から再出場という激動に果てに、ついに8日目の安美錦戦に敗れて現役引退となった。

 スポーツ医学の発達もあって、他競技では手術後に一定期間の休養とリハビリを行えばほぼ完治する症例も増えてきている。明らかに本場所の取組によって負った重傷であるならば、何らかの救済措置があってもいいのでないか。以前の公傷制度は“悪用”するケースが目立ち廃止された。ただ、今後も今場所の遠藤のようにケガが治りきらない状態で出場してくることも出てくるだろう。大相撲人気が復活した今だからこそ、力士が全力で戦えるより良い環境を整えてほしいと思う。そして、遠藤の負傷が、これ以上悪化しないことを願うばかりだ。(デイリースポーツ・北島稔大)

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