ジャンボ尾崎さん「わが人生に悔いはない」 お別れの会で長男が明かす“最後の言葉” 青木「生涯のライバル」中嶋「憧れ」
昨年12月に78歳で死去した日本ゴルフ界のレジェンドで、「ジャンボ」の愛称で親しまれた尾崎将司さんのお別れの会が16日、東京都内のホテルで開かれた。ライバルだった青木功(83)、石川遼(34)ら関係者約1000人が参列。弔辞を読み上げた青木は「生涯のライバル。絶対に忘れない」と語り、喪主を務めた長男の智春さん(54)は、父の“最後の言葉”を明かした。
ゴルフ場と富士山をイメージして5000本の花で彩られた祭壇には、2002年の全日空オープンで55歳241日の史上最年長優勝を決めて右手を上げる尾崎さんの写真が飾られた。長男の智春さんは遺影を前に言葉をつむいだ。
「父親は最後に『わが人生に悔いはない』と言っておりました。わがままをたくさん言って、好きなものをたくさん食べて。こんなにすばらしい人生、何の悔いもない、と言ってこの世を去りました。こんなにたくさんの方に見守っていただき、今ごろ父親も本当に喜んでいると思います」
181センチ、90キロの大柄な体を生かして勝利を重ね、一時代を築いた尾崎さん。日本男子ツアー94勝、賞金王12度はいずれも最多記録。青木功、中嶋常幸とともに「AON」と呼ばれ、3人で数多くの名勝負を演じた。
青木は弔辞で「ある時、『おまえさんがいなかったら、俺はとっくに終わっていた』と言ったけど、本当にその通りだった」と述懐。最後に会ったのは2014年に行われた自身のプロ生活50周年パーティーで、尾崎さんから「僕のライバルはタイガー・ウッズ」と冗談交じりに言われたが、「なんと言おうと、生涯のライバルはジャンボ。たくさん思い出がありすぎて語りきれないけど、本当にもう一度会いたかった」と、約6分間にわたって思いを伝えた。
尾崎さんは晩年、アカデミーを開設して若手育成に力を注いだ。女子の佐久間朱莉や原英莉花らをトップ選手に育成。1964年のセンバツ優勝投手らしく、ピッチングフォームからゴルフを説くなど、持てる知識を余すことなく伝えた。
2007年にアマチュア優勝を飾り、翌年のプロ転向時から多くの助言を受けてきた石川遼は「いろんなことをたたき込んでいただいた」と、“恩師”ともいえる存在に感謝。「ジャンボさんは男の中の男だった。ジャンボさんの遺志を少しでも受け継いで、日本ゴルフ界がもっと強く、明るくなっていくように頑張っていきたい」。こみ上げるものをこらえるように目を潤ませた。
後輩たちが見てきた大きな背中。その姿は、これからも日本ゴルフ界の道しるべであり続ける。
◇中嶋常幸「アマチュアの頃に憧れ、ああいうゴルフがしたいと思った。亡くなる前に会えず、元気なジャンボしか頭に残っていない。それが幸い」
【主な参列者】 青木功、中嶋常幸、倉本昌弘、伊沢利光、桑原克典、丸山茂樹、片山晋呉、谷原秀人、池田勇太、阿久津未来也、石川遼、木戸愛、佐久間朱莉、泉田琴菜、樋口久子、岡本綾子、小林浩美、藤井かすみ、明神正嗣、諸星裕、内藤雄士、辻村明志、佐野木計至、王貞治、山本浩二、田淵幸一、江本孟紀、山崎裕之、江川卓、原辰徳、鈴木健、松山千春、なべおさみ、谷隼人(敬称略)
◆尾崎将司(おざき・まさし)1947年1月24日、徳島県出身。海南高(現海部高)のエースとして64年選抜大会で優勝した。65年にプロ野球西鉄(現西武)に入団も、3年で退団した。ゴルフに転向し、70年にプロテストに合格。ツアー賞金王12度、73年のツアー制度施行以前も含めて国内通算112勝は最多。海外大会でも1勝している。2011年に世界ゴルフ殿堂入り。プロゴルファーとして活躍した健夫、直道の2人の弟、飯合肇らと「ジャンボ軍団」を結成し、ゴルフ界を席巻した。晩年はアカデミーを創設し、後進の育成にも力を注いだ。昨年12月23日、S状結腸がんのため死去。享年78。





