【野球爺のよもやま話】捕手は「詐欺師」でないと務まらない?達川さん「口撃」で翻弄
元中国新聞記者でカープ取材に30年以上携わった永山貞義氏(71)がデイリースポーツで執筆するコラム「野球爺のよもやま話」。広島商、法大でプレーした自身の経験や豊富な取材歴からカープや高校野球などをテーマに健筆を振るいます。
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前回、「捕手論」を書いていた折も折、新聞を開くと、「詐欺師には詐欺師で対抗」との記事が目に飛び込んできた。対抗する詐欺師とは元カープ捕手の達川光男さん。広島県警が特殊詐欺防止のキャンペーンのため起用したという。同県警がこの人を「グラウンドの詐欺師」とにらんだあたりは、さすがの眼力。すぐさま手配したのも、あっぱれの対応力と見た。
「達ちゃん」との愛称で親しまれたその手口は、死球でもないのにチャッカリ、球に当たった格好をして勝手に一塁へ歩き出すのが一番の得意技。捕手は職業柄、コースぎりぎりの球に対してミットを中に動かし、審判員を欺こうとするのが常だが、達ちゃんは打者としても、だまそうとしたのが特殊詐欺のそれだった。
さらには打者に対するささやき。この技は野村克也さんがつとに有名で、著作の「野球は頭でするもんだ」(朝日文庫)でも「耳に綿を詰めて打席に立ったのがいたくらいだ」と記しているほどである。
野村さんのそれは一人で勝手にささやく「ボソボソ流」。これに対して達ちゃんのは「漫才流」とでも称すのか、打者を相方に見立てて親しく語りかけ、調子を狂わそうとした技だった。
この口が開花したのが4度目のリーグ優勝を飾った1984年だろう。自身初のベストナイン、ゴールデングラブ賞に輝いた年で、私も中国新聞夕刊の回顧記事で「陰のMVP、持ち前の口で貢献」と持ち上げたほど、その「口撃」は記憶に残っている。
このように達ちゃんが「当代一」の詐欺師だったのは、世間からも折り紙付きである。しかし、考えてみると、そもそも捕手の本質というのは、詐欺師でないと成り立たない職業でもあろう。大投手が山ほどいた昔は「壁」の役割だけでよかったが、すべての面で進化が著しい現代では、配球で打者を欺かないと商売にならない。
うまくだまそうとするからには当然、相応の能力が求められる。野村さんによると、それは「記憶」「観察」「洞察」「分析」「判断」という力。達ちゃんがいまだに力説しているのが「記憶力」と「感性」。表現力は違うが、言っている意味はほぼ同じか。要するにその能力とは「記憶力」をベースに、打者の狙い球を観察から感じて洞察、分析し、配球の判断をするということなのだろう。
配球については「性格」という観点から2003年に中国新聞のコラムで書いたことがある。当時の捕手は西山秀二、木村一喜に続いて石原慶幸が台頭した時期。この性格分析については、コラムニストの天野祐吉さんが述べていた「続柄論」をチャッカリと拝借した。
それを当てはめると、長男として産まれた木村は「シッカリ型」、次男坊の西山は「チャッカリ型」、三男坊の石原は「ウッカリ型」。ベテランになってからは「シッカリ者」と見られていた石原も当時は「ウッカリ球」を打たれることがしばしばで、「もっとシッカリしんさい」と叫んだものだった。
この時、松田元オーナーに聞いた性格分析論では、長男は責任感が強くて、優しすぎる一面があるという。チーム5位の成績を反映して、その特性が悪い方に作用したのが新井貴浩。この年はレギュラーになって最低の2割3分6厘の打率に終わっている。
少子化の時代とあって当時、外国人選手を除く63人中、39人を占めていた長男は、もっと増えているかもしれない。今季、低迷したのは、責任感が強すぎるそんな性格が他球団以上に反作用したのも、あるいは一因なのだろうか。だとすれば、もっと肩の力を抜いて、達ちゃんのように「チャッカリしてみんさいや」。と叱咤(しった)しても、今の事態となってはもはや遅すぎたか。
永山貞義(ながやま・さだよし) 1949年2月、広島県海田町生まれ。広島商高-法大と進んだ後、72年、中国新聞社に入社。カープには初優勝した75年夏から30年以上関わり、コラムの「球炎」は通算19年担当。運動部長を経て編集委員。現在は契約社員の囲碁担当で地元大会の観戦記などを書いている。広島商高時代の66年、夏の甲子園大会に3番打者として出場。優勝候補に挙げられたが、1回戦で桐生(群馬)に敗れた。カープ監督を務めた故・三村敏之氏は同期。元阪神の山本和行氏は一つ下でエースだった。



