10球団が注目“琉球の怪腕”与那原

 “基地の町”にスケールの大きさを感じさせるドラフト候補(22日開催)がいる。身長190センチ、88キロの恵まれた体格から最速148キロの直球を投げ込む普天間・与那原大剛投手(3年)。甲子園出場経験がなく全国的には無名だが、プロ10球団から調査書が届く逸材だ。1年間で12キロも球速がアップした要因とは何か-。限られた環境、時間の中で琉球(りゅうきゅう)の怪腕は飛躍するカギを探ってきた。

 上空では米軍機のごう音が鳴り響く。他の部活動と共用のグラウンドを使えるのは、平日でわずか1時間30分。決して恵まれているとは言えない環境からでも、スケール抜群の与那原はプロ10球団から注目を集めるまでの飛躍を果たした。

 知念正仁部長は「意識の違いですよね。何をしたらいいか、本人が考えてやってきた」と明かす。グラウンドを使えなくても、与那原は校内でのトレーニング、日課とする早朝ランニングで練習不足を補ってきた。昨オフに同校野球部の先輩から体幹トレーニングの重要性を教わり、徹底して体の軸を鍛えてきた。

 2月の段階ではまだ軸が固まらず、投球フォームにブレが生じていた。大きな体格を持て余すようなイメージだった。だが体幹の強化が実を結んできた春先、明らかにボールは力強さを増した。体格の大きさに加え、球離れが遅くなったことで、プレートからホームベースの距離が近く感じるようになった。

 ストレートの強さはプロに入っても十分に通用するレベル。本人は「どんどんスピードが上がっていくのが楽しかった」と感じたのと同時に、「自信を持ってマウンドに立てるようになった」と言う。

 さらに「スカウトの方も見に来ていただいたので」と明かすように、視察に訪れたプロ球団のスカウトの姿も大きな励みになった。「プロに行きたかったので。志望届を出したのも、少しでも可能性があるならばと思って決めました」と与那原は力を込める。

 急成長を遂げた要因とされる意識の高さ-。その背景にはある思いがあった。中学3年で進学先を決める段階になった時、本土の強豪私学6校から誘いを受けたという。だが与那原は「まだ中学生でしたし、親元を離れて野球をやることは考えられなかった」と断り、普天間への進学を決めた。

 近年、沖縄から本土の甲子園常連校へ野球留学する選手は多い。今夏の甲子園でも沖縄から野球留学した選手は多数いた。だが普天間は公立の進学校。環境の違いは歴然としており、「周囲から『何でここに来たの』と言われたこともあった」と振り返る。

 「それを見返してやろうと。ここで頑張って、自分の選択は間違っていなかったと言えるように」。自らの決断は間違っていなかった-。胸を張って言えるように努力を重ねてきた。そして今、プロの門をたたこうとしている。性格的な芯の強さは厳しい生存競争を生き抜く上で大切な要素。心技体を兼ね備えた琉球の怪腕は、確かな可能性を秘めている。

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