開星野球部への感謝を…
【7月25日】
二回の攻撃が終わると、僕のケータイが忙しくなった。「決まりですね」「来ますね」…。阪神、他球団、高校野球、大学野球、旧知の関係者からお祝いの電話がひっきりなしに鳴った。
やはり夏の甲子園というのは格別…それだけ注目度が高いのだ。この日、全国高校野球選手権の島根大会決勝が行われ、二回に8点を先制した開星がその後も攻守で松江南を圧倒し、8年ぶり11度目の甲子園出場を決めた。
なぜ、僕にお祝いの連絡が?
実は…昨年まで3年間、縁あって開星高校にお世話になった。毎週末4時起きで西宮から往復7時間かけて松江まで行き来した。練習試合、遠征、公式戦…。こんな年齢だから体が悲鳴を上げた。昨夏の島根大会中に松江のホテルで倒れ、夜中に救急病院へ運ばれた。頭を朦朧とさせながら必勝を祈ったが、準決勝であの大社高校に敗れ夢に届かなかった。それでも幸せな3年間を送らせてもらった恩は生涯忘れない。だからこそ、今夏…。恥ずかしながらこの原稿を書く指先が震える。素晴らしい選手、お世話になった指導者の方々の顔を浮かべると、涙腺が…。
コロナ禍では夜中に寮生の野球部員が何人も発熱したことがあった。大谷弘一郎部長は自身への感染も恐れず、発熱する選手の介抱を続けた。文字通りの親代わり。難題があればいつも盾になって子どもたちを守った。選手のメンタル面をケアし、時に叱咤し支え続けたのは竹下伸也先生。遠征がどれほど長距離でもバスの運転を厭わない選手の兄貴分だ。また、コンディション面を学び続け、体調管理に尽力したのは野津風馬コーチ。苦心は並大抵でなかったと思う。聖地に届かなかった8年間、開星野球部復活へ身を削って心血を注いだ恩人に頭が下がる。
この指導者の方々はOB糸原健斗もよく知る甲子園常連時代の開星メンバーだ。糸原に聞けば、言う。
「本当、素直に嬉しいです。頑張って掴み取った甲子園。選手達には思い切ってやってもらいたいです。それから何よりも嬉しいのは監督さんが復帰されてまた甲子園へ導かれたこと。結果を出すのは本当に凄い。監督さん、コーチの方…。さすがの一言です」
複雑な経緯は控えるが、例の切腹発言でも有名になった野々村直通監督は一度、開星の監督を辞した身である。20年に学園理事長の切願で監督復帰すると、再び甲子園出場への期待感が膨らんだが、名将の前に立ちはだかる壁は少なくなかった。夏どころか秋も春も勝てない。甲子園はこれほど遠いのか。睡眠障害を起こし、体調に異変を感じながらそれでも自らを奮い立たせた。昨年は意図的に野々村節を復活させ、開星100周年の夏にベスト4。新チームに磨きをかけて悲願を叶えた「やくざ監督」が聖地へ帰ってくる。
「吉田さん、甲子園の写真、持ってませんか?描きたいんですよ」
一昨年の秋、野々村監督からそんな頼まれごとをした。もともと美術の先生で今も画廊に籠もる芸術家だ。
監督さん、もう写真は要りませんね…。西宮でお待ちします。=敬称略=
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