さよならの向こう側
【1月24日】
日テレ枡太一アナウンサーが3月いっぱいで同局を退社し、同志社大学の研究員に転身する。40歳だそうだ。多彩な才、チャレンジャー精神はひとつの枠に収まらない。羨ましくもあり…。
東京、大阪、広島…気の合うアナウンサーは多い。先輩も後輩も同期も魅力的な人が多く、職場を離れて一緒に酒を飲む悪友も…。
尊敬する元アナのひとり、朝日放送を退職し高校教諭になった清水次郎とは、久々に会ってコーヒーを飲んだ…この話は以前当欄で書いた。コロナ禍でなければゆっくり話したかったけれど、でもまあ、清水の近況を聞けて、それはもうビンビン刺激をもらった。
夢がある。ほかに挑戦したいことが…。そんな野心を胸にしまって定年を迎える人がほとんどだと思う。清水は40代で一念発起したわけだけど、聞けば、夢へ猛進するバイタリティーは半端なかった。
アナウンサーを卒業し、新天地へ…。同級生にもいる。
読売テレビ尾山憲一(おやま・けんいち)である。
「今年限りでマイクを置くことになったよ」
昨年、尾山から連絡をもらい、ささやかながらノンアルで慰労会をやった。アナウンサーは専門職だから異動は異例。営業企画部へ?何かあったのか?直球でぶつけてみたけれど、イキサツを聞けばなるほど頷けたし、尾山も新しい世界を楽しみにしていた。
「新庄が監督になる年にな…」
尾山といえば、新庄剛志が敬遠球を打ち返したG戦で、伝説のヒーローインタビューを担当したことで有名になったアナでもある。
「明日も勝つ!」
プリンスの熱い決め台詞を引き出したわけだけど、熱さといえば彼ほどバイタリティー溢れるアナは希少だったと思う。本人いわくその熱情がときに若い世代に通じないこともあったそうだけど。
尾山のラストアナウンスは、スタッフが集まった読売テレビのスタジオで…。ニュースのオンエア後、自ら準備した白いマイクを手に『さよならの向う側』を熱唱。20代の局員がポカンとする中で堂々披露し、最後はマイクをそっと置いて…って、おい!憲ちゃん、それ、俺らの世代でギリギリや。
山口百恵がそんな伝説のパフォーマンスで引退した1980年は猛虎最年長の糸井嘉男(81年生まれ)ですら生まれていない。
「若干すべったかな…」
そう言って笑う尾山は、もう宜野座へも、安芸へも来ない。実況の名調子も、そして、ヒーローインタビューももう…。
「あれはね、対象者が誰なのかその時々の運もあるんだけど、藤浪晋太郎投手の最高の笑顔と、最高のコメントを引き出してみたかった思いはあるかな…」
晋太郎のプロ初登板を実況した尾山だけど、晋太郎へのヒーローインタビューが一度も叶わなかったことが、少し心残りだと…。じゃ代わりにといっちゃ何だけど、今シーズンはぜひとも最高の藤浪原稿を憲ちゃんへ。まだペンを置く気はないので。=敬称略=
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