斎藤佑樹と「ファン」

 【2月13日】

 第3クールは宜野座を離れ、会いたい選手を訪ねようと決めていた。沖縄本島北部、国頭(くにがみ)村まで車を走らせ、会ってきた。もう4年連続…その姿を見たくて毎年キャンプにお邪魔する。

 「お久しぶりです。ありがとうございます。いつも来ていただいて…」

 NPBのキャンプ地としては沖縄最北端、日本ハム2軍が練習する「かいぎんスタジアム国頭」に斎藤佑樹を訪ねた。

 右肘靱帯(じんたい)断裂から保存療法で復活を目指す32歳である。年齢的にも再発が一番怖い。だから、ゆっくり慎重に…そんなイメージを持ってブルペンを見させてもらったけれど、汗を拭い、腕を振り続ける、その球数が、こちらの勝手な想像を覆した。

 数えること、200球。

 「普通にやってますよ」

 人気(ひとけ)のまばらなキャンプ地で斎藤はほほえむ。

 コロナとは無縁に映る長閑な球場でさえファンは立ち入り禁止。場所を選ばないウイルスだから、もちろん12球団統一の規制なんだけど、この異常事態を、あれだけファンに囲まれてきた佑ちゃんはどう感じているのか。懸命にリハビリに励む姿を眺めながら、あらためて聞きたくなった。早実、早大時代、王子と呼ばれ、黄色い声援を浴びてきた右腕も、プロ11年目。かつて感じたものと、今感じるもの…。いつもお世話になる球団広報の方に許可を得て、練習後1対1で話す時間をもらった。

 斎藤にとって、ファンの存在とは、歳を重ねるごとに意味合いが変わってきたのか?

 「そうですね…。『ファン』って、高校、大学のときにそうだったんですけど、何となく、漠然とした存在だったんですよ…」

 それは、数が多すぎて?

 「変な意味ではなく『ファン』と一括(くく)りにしていたというか…。当然、僕らは野球に集中するわけで、『マスコミ』(の存在)と同じで、何か、端っこにカギかっこがついて『ファン』、みたいな感じだったんですけど、ファンの中にも当然、熱量の多い方とそうでもない方、両方いらっしゃるじゃないですか。それが、歳をとるにつれ、すごく熱量の感じ方が濃くなってきたというか…」

 昔からずっと変わらず、ファンでいてくださる方がいる。

 「そう感じますし、本当にありがたいです。あと…最初のほうはマスコミも本当に数が多くて、正直(マスコミが)鬱陶しいって思った時期もあるんですけど(笑)こうやって話していると、その中にも、人としての魅力って皆さん出てくるじゃないですか。長く野球をやらせてもらうと、そういう『人の深み』たいなものも見られるようになって、それも(自分自身の)成長かなって思います」

 ファンのありがたみとは、離れて初めて感じるもの。宜野座に戻りガランとした球場で思う。若くしてそれを「有り難み」を感じられる選手がこのコロナ禍で増えるといいな…。斎藤佑樹の言葉を聞いてそう感じる。=敬称略=

関連ニュース

編集者のオススメ記事

吉田風取材ノート最新ニュース

もっとみる

    スコア速報

    主要ニュース

    ランキング(阪神タイガース)

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス