高代延博さん死去 日本一の三塁コーチ、ノックの名手と知られた名参謀 金本知憲氏や福留孝介氏ら多くの名選手を育成
阪神、広島、中日などNPB6球団でコーチを歴任し、関西六大学野球の大経大監督・高代延博(たかしろ・のぶひろ)さんが9日午後8時42分、食道胃接合部がんのため死去した。71歳。奈良県出身。葬儀・告別式は非公表。1978年度ドラフト1位で日本ハムに入団し、遊撃手として活躍した。引退後はコーチとして金本知憲、福留孝介ら多くの名選手を育成。第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では日本代表コーチとして大会連覇に貢献し、ノックの名手や三塁ベースコーチとしても知られた名参謀だった。
最後まで野球を愛し続け、天国へ旅立った。高代さんは23年4月末にがんが判明。本人の意志で公にはせず、大経大野球部の監督を務めながら、闘病生活を続けてきた。
24年秋に大きな手術を受けたが、25年は軽いノックができるほどまでに回復。「やっぱり野球は楽しいわ」とうれしそうに話していた。しかし、9月に入ってから症状が悪化。大経大監督として籍を残したまま、帰らぬ人となった。
野球一筋の人生だった。智弁学園では高嶋仁氏の指導を受け、法大へ進学。1学年下の江川卓らと黄金時代を支えた。東芝を経て、1978年度ドラフト1位で日本ハム入団。1年目の開幕から遊撃のレギュラーとなり、ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を受賞した。
89年にトレードで広島へ移籍。法大の先輩・山本浩二監督の下で1年間プレー後に現役を引退し、コーチに転身。名監督に請われてNPB6球団、2度の日本代表、韓国1球団を渡り歩いた。
広島での9年間では金本らを育成し、99年からは中日・星野監督の下で福留らを指導。2004年からは中日に戻って落合監督を支えた。
11年からはオリックスで岡田監督の下で2年間、ヘッドコーチ。14年からは7年間、阪神に在籍し、教え子の金本監督をヘッドコーチとしてサポートした。
日本代表でも09、13年のWBCでコーチを担い、09年は原監督の下で大会2連覇に貢献。プロ野球界では現役の11年間、コーチとしての31年間で、計42年間もユニホームを着続けた。
三塁ベースコーチとして判断力に優れており、小柄な体を目いっぱい使って大きく腕を回し、多くの名場面を演出した。ノックの名手でもあり、厳しい指導でも知られた。金本氏は「広島時代に自分に大きな影響を与えてくれた3人」として三村敏之さん、山本一義さんとともに、高代さんの名前を挙げている。
21年からはデイリースポーツでウェブ評論家。23年から大経大の監督に就任した直後に病魔に襲われてしまう。約2年半も苦しい治療に耐えてきたが、力尽きた。
入院先では野球中継があれば必ず見ていた。「グラウンドに戻らんとあかんから」。見舞いの人が来ても、会話を忘れて画面に集中するほどだった。最後まで野球とともに歩んだ人生だった。
◆高代 延博(たかしろ・のぶひろ)1954年5月27日生まれ。奈良県出身。現役時代は右投げ右打ちの内野手。智弁学園から法大、東芝を経て、78年度ドラフト1位で日本ハム入団。89年に広島移籍後、同年現役引退。遊撃手でベストナイン(80年)、ゴールデングラブ賞(79年)各1回。広島、中日(2回)、日本ハム、ロッテ、オリックスでコーチを歴任。10年には韓国・ハンファのコーチ。14年から阪神1軍内野守備走塁コーチ、作戦コーチなどを歴任して20年に退団。23年に大経大野球部の監督に就任。09、13年WBC日本代表内野守備走塁コーチ。
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