金本知憲氏 高代延博さんしのぶ 鯉入団1年目コーチ、阪神監督時代ヘッド「最初から最後まで一緒にやっていただいた」
阪神、広島、中日などNPB6球団でコーチを歴任し、関西六大学野球の大経大監督・高代延博(たかしろ・のぶひろ)さんが9日、食道胃接合部がんのため死去した。奈良県出身。71歳だった。阪神元監督で、デイリースポーツ評論家の金本知憲氏(57)にとっては恩人の一人であり、広島時代からの思い出を振り返って故人をしのんだ。
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引退会見の時に、大きな影響を与えてくださった方として、広島時代に携わっていただいた三村敏之さん、山本一義さんとともに、高代さんの名前を挙げさせてもらいました。私にとって、恩人の一人です。
思い出を振り返ってみても、本当に熱心な指導者であり、情熱家という方でしたね。言われたことはいっぱいありましたが、私に関して言うと特に、守備と走塁のことでした。
入団1年目からとにかく、打球判断であったりスタートの仕方であったり、私の中でそこは本当に、全部高代さんと言ってもいいぐらいで。「打つことよりもそっちを大事にしろ」というぐらいで、当時の三村さんがそういった指導者だったこともありましたからね。走塁も本当にへたくそだったんですが、普通にうまくなれましたし、守備も本当にできなかったところでうまくなれたのは、高代さんのおかげだと思っています。
阪神の監督の時にも、ヘッドコーチなどで3年間、1軍で一緒にやってくださり、いろいろなところで助けてもらいました。私のため、タイガースのために、すごくよくやってくださいました。選手に対しても、熱心に指導をしてくださっていたことを、今でも覚えています。
最後に会ったのは、10日ぐらい前のことでしょうか。お見舞いにも2回行かせてもらって、1回目の時は会話ができて、冗談ばかり言い合っていたような感じで。思い返すと私にとっては、プロの世界に入った広島時代の若い時に始まり、阪神での監督の時と、最初から最後を締めくくるまで、一緒にやっていただいた方でした。心から、ご冥福をお祈りいたします。
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