阪神・原口が引退 度重なるけが、大腸がんから復活の不屈の男が16年間の現役生活に終止符 多くの虎党に感動を与えた
「ウエスタン、阪神6-2オリックス」(28日、日鉄鋼板SGLスタジアム)
阪神の原口文仁内野手(33)が今季限りで現役を引退することが28日、分かった。度重なるけがで育成枠を経験したが、大腸がんからの復活も遂げ、近年は代打の切り札として活躍してきた。昨オフには国内FA権を行使した上で残留を決断。しかし16年目の今季、ここまで1軍出場は15試合にとどまり、タテジマを脱ぐことを決めた。引退試合も検討されており、近日中に会見を開く。
数々の苦難を乗り越えてきた不屈の男がバットを置く。代打の切り札として、熱い闘志と大きな背中でチームを支えてきた原口が16年間の現役生活に終止符を打つことを決めた。
苦しみ、もがきながらも多くの喜びも感じてきた16年間だった。帝京高から09年度ドラフト6位で捕手として入団。しかし入団3年目の12年から椎間板ヘルニアを患い、同年オフに育成選手となった。
13年には死球で左手尺骨を骨折、14年には打球を追って右肩を脱臼。度重なる故障もあったが乗り越え、16年4月27日に支配下復帰した。同日に1軍昇格し、甲子園での巨人戦に出場すると、プロ初安打を記録。同年には11本塁打と2桁本塁打も放った。
18年には、08年の桧山進次郎に並ぶ球団記録のシーズン代打安打「23」をマーク。勝負強い打撃でチームに貢献した。しかし、試練が訪れた。19年1月に大腸がんを公表。それでも「早期の実戦復帰を目指します。常に前だけを向いて進んでいきます」と力強く宣言。手術を受け、リハビリ生活を送った。
苦しい日々を乗り越え、6月4日・ロッテ戦(ZOZO)で1軍復帰。九回に代打で適時二塁打も放って元気な姿を届けた。印象的だったのが同月9日の日本ハム戦(甲子園)。代打で起用された同点の九回2死二、三塁から中前打を放ち、劇的なサヨナラ勝ちを決めた。復活後初のお立ち台では「ただいま!」と絶叫し、目を潤ませた。多くの人の心を動かした瞬間だった。
22年からは野手登録に変更となり、代打の切り札として23年のリーグ優勝、日本一にも貢献した。昨オフには国内FA権を行使。1カ月悩み抜いた上で、残留を決断した。会見では「新しい自分の中のスタート」と話し、「みんなをいい方向に引っ張っていけるような姿勢や結果も追い求めて」と、プロ16年目のシーズンへ気持ちを新たにしていた。
しかし、今季は最も苦しい1年だった。開幕1軍も、代打として結果を残せず4月中旬に降格。2軍暮らしが続いた。優勝の輪にも加われなかったが、9月13日・巨人戦で今季初安打初打点をマーク。今季13打席目での待望の一打だったが、19日に再び降格し、1軍出場は15試合にとどまっていた。ここまで通算563試合の出場で打率・269、29本塁打、152打点。勝負強い打撃だけでなく、人柄や姿勢でも周囲から信頼された。
常に準備を怠らず、2軍でも誰よりも汗を流した。ベンチでは声を張り上げてチームを鼓舞し、その姿は後輩たちの手本となった。この日はウエスタン・オリックス戦(SGL)に「4番・DH」で出場。2打数無安打2四死球だった。近日中に開かれる会見で、率直な思いを明かす。
◆原口 文仁(はらぐち・ふみひと)1992年3月3日生まれ、33歳。埼玉県出身。182センチ、97キロ。右投げ右打ち。内野手。帝京高から09年度ドラフト6位で阪神入団。13年からの育成契約を経て、16年に支配下復帰。18年の代打安打23本は桧山進次郎に並ぶ球団タイ記録。19年1月に大腸がんであることを公表。手術を経て、6月に1軍復帰を果たした。22年にはポジション登録を捕手から内野手に変更。24年オフには国内FA権の行使を宣言するも、阪神と契約を結んで残留した。
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