【阪神ドラフト選手特集・富田蓮(1)】兄の背中追い始まった野球人生
10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~6位・育成1位)の連載をお届け。第6回はドラフト6位の富田蓮投手(21)=三菱自動車岡崎=を紹介する。
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幼い頃から兄の背中を追いかけた。野球を始めたきっかけは二つ年上の兄・至温さんが小学1年から広幡クラブに所属していたこと。母・早苗さんに富田も連れて行かれるようになった。
ただ、「最初は練習終わりにご褒美としてもらえるお菓子が目当てで行っていました」と早苗さんは笑って明かす。人懐っこい性格で年上の子たちにかわいがられたこともあり、富田にとって“楽しい場所”だった広幡クラブ。保育園を休んでまで行くこともあった。
自身も野球、ソフトボールを経験した父・広之さんは「野球に興味を持ってもらえれば」と、富田が幼い頃からおもちゃのバッティングマシンで遊ばせ、4歳の頃に初めて軟式ボールを握らせた。6歳の頃にはキャッチボールも習得。まだ年長だったが、至温さんの後を追って広幡クラブに入部し、野球人生がスタートした。
富田には野球をそこまで教えていなかったという広之さん。至温さんが教わっている横でじっと聞き入り、ルールは見よう見まねで覚えた。小学生の時はチーム事情でしばらくはセンターを守っており、初めて投手になったのは高学年の時。「左利きでポジションが限られていたのもあったんですけど、やってみたら楽しくて」と富田。そして何よりチームでエースだった至温さんへの憧れから、自然と投手にひかれていった。
中学でも兄と同じ大垣ボーイズに所属。入った当初は投手を任されたが、1年の途中でポジションを奪われ、それからずっと外野を守るようになった。「僕は投げたいのに、なんで投げさせてくれないんだろう」。毎日、悔しさと歯がゆさでいっぱいだったが、投手への思いを諦めることは決してなかった。「チームの捕手の子を相手によく投球練習してました」と早苗さん。もしかしたら投げる時が来るかもしれない-。そう信じてひそかに練習を重ねていた。
そんな少年に神様はほほえんだ。中学生最後の試合だった16年8月22日の滋賀大会決勝。連戦を勝ち抜いてきたチームは球数制限でもう投げられる投手がいない。そこで抜てきされたが富田だった。最後の最後に訪れたチャンスで練習の成果を発揮し、7回完投。4-2でチームを勝利に導き、優勝投手となった。その瞬間、富田の思いは固まった。「絶対にピッチャーをやりたい」。高校から投手一本でやることを決意。この試合をきっかけに富田は投手の道を歩み始めた。(山村菜々子)
【富田蓮アラカルト】
◆生まれ 2001年9月6日生まれ。岐阜県養老郡養老町出身
◆サイズ 174センチ、78キロ
◆球歴 6歳から広幡クラブで野球を始め、養老町立東部中時代は大垣ボーイズに所属。大垣商では1年秋からベンチ入り。三菱自動車岡崎に入社後、侍ジャパンのU23代表に選出。最速147キロ。
◆球種 直球、スライダー、チェンジアップ、カーブ、フォーク
◆足 50メートル走6秒2
◆遠投 110メートル
◆好きな芸能人 霜降り明星、橋本環奈、今田美桜
◆好きな歌手 ベリーグッドマン
◆座右の銘 「人生一度きり」
◆好きな母の手料理 ハンバーグ(デミグラスソース)
◆特技 水泳
◆趣味 温泉に行くこと、映画観賞
◆家族構成 父と母と兄
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