阪神外国人列伝 03年はウィリアムス加入で25セーブ JFK結成へ

 阪神は2020年、球団史上最多となる外国人選手8人体制でV奪回に挑む。球団創設85周年のメモリアルイヤー。かつてタテジマのユニホームに袖を通した助っ人を年度別で振り返る。2003年はウィリアムス、ポート、シーズン途中に、リガンが加入した。

 ウィリアムスは豪州出身。キレのいいスライダーを武器に03、05年のリーグ優勝に貢献した。03年は中継ぎ候補だったが、ポートの代役で抑えにまわり、52試合で防御率1・54、25セーブを挙げた。

 04年も14セーブを記録すると、05年はセットアッパー専任となり、藤川、久保田と「JFK」を結成した。同年は75試合に登板し、3勝3敗37ホールド、防御率2・11。80試合の藤川と史上初の「70試合登板コンビ」で2年ぶり優勝に導いた。その後もセットアッパーとして大活躍した。

 09年に左肩の故障が原因で退団。懸命のリハビリで復帰を目指したが、11年に引退を表明した。「タイガースから発表したのは自分が最も愛着のある、お世話になった球団だからです。甲子園球場で投げるときのタイガースファンの素晴らしい声援、あのサポートは今でも心に残っています」のセリフでファンを泣かせた。

 リガンはポートの不振と故障のため、シーズン途中に急きょ獲得した救援投手。来日時は「攻撃的なピッチャー。打たれるんだったらベストの球で打たれたい。基本的には監督の望んでいるところ、六回以降に仕事ができればと思っている」と意気込んだ。

 5日後の6月27日に支配下、出場選手登録されると、その夜の横浜戦に初登板。最速148キロの速球とフォークを武器に三者凡退デビューを飾った。本紙は「盤石のセットアッパー誕生」と認定。その後はウィリアムス、安藤、金沢らと強力リリーフ陣を形成した。同年は29試合、防御率1・51で優勝に貢献した。04年は6月の登板中に右肘内側側副じん帯を損傷して途中帰国。残留の希望はかなわなかった。

 クローザーとして期待されたポートは不調と故障のため、わずか8試合、0勝1敗1セーブ、防御率9・64。帰国時には「今季は僕の野球生活で最悪のシーズン。十分な環境をつくってもらっていたのに、チームに貢献できず申し訳ない」と、悔しさをにじませた。

 星野監督2年目の03年は18年ぶりのリーグ優勝を達成した。日本シリーズでは3勝4敗でダイエーに敗れた。

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