【昭和の虎模様】“ついでに”入団した山本哲也氏がかけがえのない捕手に

 今年、球団創設85周年を迎えた阪神タイガース。長い歴史の中では多くの名選手、名勝負が生まれ、数々の“事件”もあった。昭和の時代にデイリースポーツでトラ番を務めた平井隆司元編集局長が、栄光と挫折の歴史を秘話をちりばめ連載で振り返る。

  ◇  ◇

 古い話になる。1953年。阪神は新人9選手を獲った。うち最も期待されたのが熊本工の左腕、山部儒也だった。地元の評判は抜群。先輩に後藤次男がおり、何より川上哲治(巨人)の母校でもある。

 後藤はタイガースのダイナマイト打線の中心にいた主砲。監督の松木謙治郎に「阪神が獲らなきゃあ。カワさんの一声で巨人に行かれると厄介な相手になるよ」と強く山部を推薦した。異例なことに阪神は球団代表の田中義一が慌てて熊本へ。あの手、この手を駆使して交渉し、ついにうん、と言わせた。

 “抱き合わせ”という便利な言葉がある。“ついでに”という言葉と解釈していい。キャッチャーの山本哲也も“ついでに”と熊工の監督から要請され、抱き合わせの選手として田中義一が聞き入れた。トップが現場にいると、部下には邪魔くさいことが多いが、急な決断を必要とする場合はありがたい。

 熱意が通じて獲った山部が…期待を裏切る。監督の松木が愚痴をこぼす日が続く。

 「球威がないんよ。聞いてた評判と違うんよ。(老いた)わしでも打てる球しか投げられんのよ」。山部は3年で退団した。

 しかし、抱き合わせで入団した山本哲也がかけがえのない捕手になる。渡辺省三、小山正明、村山実、バッキーらエースの長所を引き出し、1962年と64年の優勝に貢献する。影の立役者と言っていい。

 甲子園球場の銀傘より高いキャッチャーフライを捕る名人で、そんなフライが上がるとスタンドは大喜びした。

 あるとき、エースの村山実が山本哲也に愚痴をこぼした。

 「小山さんや(渡辺)省さんが投げたら(遊撃の)吉田はん、三宅(三塁)、それに鎌田(二塁)はヒット性のゴロを好捕する。それが僕が投げると、みなヒットにしてしまう。なんで?おかしくないですか」

 山本哲也が答える。

 「あのな、よう聞けよ。お前は逆球が多い。そやから野手は守りにくい。省さんや小山はコントロール抜群や。わしの構えたところへ投げてくるからセンターへ抜けるゴロでも捕ってくれる。どこへ打球が行くか分かって守れるんや。みな、お前を差別するわけないやろ」

 絶妙のタイミングで、筋を通す女房役も、今はこの世にいない。

 振り返ると1953年入団の9選手は粒が揃っている。

 小山正明、大崎三男、山本哲也、吉田義男、三宅秀史、与儀真助、河津憲一、山部儒也、石垣一夫。(大崎はこの年に途中入団)

 この9選手の中で吉田の契約金50万円、月給3万円が最高額。比べて小山は…契約金ゼロ、月給5000円。ここから小山正明は320勝投手になってゆく。=敬称略=

 ◆山本 哲也(やまもと・てつや)1934年9月26日生まれ。熊本県出身。現役時代は右投げ右打ちの捕手。熊本工から53年阪神入団。通算成績は854試合341安打12本塁打109打点、打率・206。64年現役引退後は阪神で2軍バッテリーコーチ、スコアラー、スカウトなどを務めた。2019年10月13日死去。

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