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【あの時…虎戦士回顧録】「少年隊」中野佐資氏 村山実監督を泣かせた巨人戦

 サヨナラ勝ちを決めた9日の試合後、矢野監督が泣いた。今から31年前、同じく監督を泣かせた男がいた。懐かしの猛虎戦士が、現役当時を振り返る企画「あの時は…」。第3回は80年代後半から90年代にかけて外野手として活躍した中野佐資(さとる)氏(56)。和田豊、大野久とともに「少年隊」と呼ばれた虎の初代背番号0が、村山実監督を泣かせた当時のことなどを語った。

  ◇  ◇

 あれは僕のプロ3年目。開幕4連敗で迎えた甲子園での巨人戦で活躍(※1)。試合後に記者の方から「村山さんが泣いていたぞ」と聞かされました。

 その前年のオフ。吉田義男さんから監督が代わった秋季キャンプで、いきなり言われたんです村山さんに。「背番号変えろ」って。それで「13」から「0」になって。結果をまったく残していなかったのに、いきなり「0」で目立っちゃうのはマズいなって。でも、結婚することも決まっていたし、「0からのスタートで」って決まったんですよ。

 村山さんは「ずっと期待してた中野が打ってくれた」と泣いてくれたみたいですが、なんせ年明けから2軍スタートだったし、何とかはい上がっての開幕スタメン。ホントに期待してくれてたのかなってのはありますけど、僕を世に出してくれた恩人ですからね。

 村山さんは和田、大野さんとともに「少年隊」としても売り出してくれました。ただ、大野さんはすでに子供がいたし、自分だって結婚しているのに恥ずかしくて…(笑)。あの時はとにかく必死だったし、純粋に野球が楽しかったですね。

 その後に監督が代わって出番が減ったけど、八木、新庄が外野に回ってきたのもあった。ラッキーゾーンの撤廃も大いに関係がありました。全然違いましたね。やっぱり左打者はキツい。浜風の影響は大きいですから。

 現役当時はいわゆる“暗黒時代”で弱かったけど、お客さんはたくさん来てくれた。「負けたけど中野が打ってくれた」って帰ってもらえるように、必死で頑張ってました。守備位置まで全力疾走で行くのも僕のトレードマークだった。お客さんは喜んで盛り上がってくれましたからね。

 そういえばルーキーの木浪くんも守備位置まで全力疾走するそうですね。僕に似て思い切りのいいバッティングをするし、何とかレギュラーをつかみきってほしい。背番号を引き継いでいる選手だから、やっぱり気になりますよね。阪神タイガースの初代「背番号0」としては。(元阪神タイガース外野手)

 ※1…1988年4月14日、第2次・村山実政権1年目の開幕5戦目。2-2の五回2死満塁、中野が桑田から中前勝ち越し打。その一打がプロ初打点で初決勝打だった。六回にも2点打を放ち、チームの開幕初勝利に大きく貢献した。

 ◆中野佐資(なかの・さとる)1963年1月7日生まれ、56歳。栃木市出身。現役時代は左投げ左打ちの外野手。国学院栃木から三菱重工横浜を経て、85年度ドラフト2位で阪神入団。93年に引退。89年には124試合に出場した。通算打率は・241。ガッツあふれるプレーが持ち味で、89年にはリーグ最多17死球を記録。この数字はいまだに阪神のシーズン最多となっている。現在はスポーツデポ宇都宮店に勤務。野球アドバイザーとして少年野球などの指導を行っている。

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