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【私と甲子園】阪神・久慈照嘉コーチ 87年春史上最強PL相手に金星あと一歩

 高校野球を彩ってきた元球児の阪神関係者が高校時代を振り返る「私と甲子園」。第3回は、80年代に甲子園で活躍した東海大甲府(山梨)の阪神・久慈照嘉内野守備走塁コーチ(49)です。86年夏から3季連続で甲子園に出場して、87年春の準決勝は立浪和義(元中日)、片岡篤史(元阪神など)らを擁するPL学園(大阪)に惜敗。自身のルーツとなった高校時代を振り返ってくれました。

 久慈コーチは中学卒業後、堀内恒夫(元巨人)を輩出した甲府商に進学予定だった。だが、東海大甲府・大八木治監督(※)の熱意に負けた。「甲子園へ連れていってやる!」と口説かれ続けて進路を変更。「根性や姿勢、戦略も含めて原点となった人」と今も感謝する恩師の下、夏2回、春1回の甲子園に出場した。

 「出たら『もう1回出たい』と思う場所だったね。まさか、3回も甲子園に出て、4年後にプロでも本拠地にするなんてね。今も甲子園で仕事をさせてもらっているし、僕には本当に特別な場所」。聖地でプレーした高校時代の7試合は野球界で生きていく上で、礎となっている。

 2年生だった86年夏は、2回戦で享栄(愛知)の近藤真一(元中日、現在は真市)から安打を放った。同年秋からは1番・遊撃として活躍し、山梨大会決勝で中込伸(元阪神)を擁する甲府工を破って優勝した。

 87年センバツでは、“西の立浪、東の久慈”と注目を浴びた。「そう言ってもらっていたのは知っているけど、立浪に言うと怒られるよ」と笑うが、同大会の準決勝・PL学園戦は2安打を放ち、激闘を演出した。

 当時のPL学園は立浪、片岡、野村弘樹(元横浜)、橋本清(元巨人)が主力。史上最強と言われた優勝候補を攻略するために、大八木監督は徹底して相手捕手を分析したという。「このカウントはこの球が多い」「3球で攻撃が終わってもいいから初球から直球を狙え」。指示通りの攻撃で先発・野村を三回途中でKO。3回で5点をリードした。

 だが、PL学園は底力が違っていた。「みんな体が大きいし、個々の力が違い過ぎた。球場の雰囲気が完全アウェーで、気後れもあったなあ」。延長十回に片岡のライナーをジャンピングキャッチする美技も見せたが…。連投のエース・山本信幸投手が200球を超える熱投の末、延長十四回に競り負けた。

 それでも87年に甲子園春夏連覇を果たす名門を最も苦しめた試合だった。久慈コーチは当時、試合後に「優勝を狙っていたのに悔しい」とコメントを残している。あと一歩で“金星”を逃したが、最強軍団を追い詰めた熱戦は一番の思い出だ。「相手をビビらせられたかな。(当時のPL学園)中村監督に焦ったか、聞いてみたいね」。聖地での興奮を思い出すと、自然と声ははずんでいった。

 ※…東海大甲府では79年からの13年間、指揮を執って春夏通算11度の甲子園へ導いた。12~17年まで啓新(福井)の監督を務め、17年度ドラフト6位で阪神に指名された牧を育てた。

 ◆久慈照嘉(くじ・てるよし)1969年4月19日生まれ、山梨県甲府市出身。169センチ、75キロ。右投げ左打ち。東海大甲府では2年夏から3季連続で甲子園へ出場。日本石油を経て、91年度ドラフト2位で阪神へ入団。92年に新人王。98年から中日へ移籍し、03年に阪神へ復帰。プロ通算1199試合で、打率・257、6本塁打、153打点。現在は阪神内野守備走塁コーチ。

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