鳥谷2000安打達成 藤田平氏に次ぐ生え抜き2人目、甲子園での達成は虎史上初

 「阪神8-3DeNA」(8日、甲子園球場)

 求道者が偉大なる先人たちと肩を並べた。阪神・鳥谷敬内野手(36)が二回、右中間に適時二塁打を放ち、プロ野球史上50人目となる通算2000安打を放った。球団の生え抜きでは藤田平氏(デイリースポーツ評論家)以来、2人目の快挙。プロ14年目で到達した節目の数字を通過点に、背番号1がこれからも安打を量産する。

 涙を流して喜ぶファンがいた。声にならない声を叫び続けるファンもいた。聖地に何度も何度もこだました“鳥谷コール”-。背番号1はスタンドをグルリと見渡すと、珍しく笑った。「甲子園で達成できてよかった」という思いが、心の底からあふれ出した。

 球団史上初となる甲子園での通算2000安打達成。「500本くらい打てればな」とプロの世界に飛び込んだ鳥谷が金字塔を打ち立てたのは、2点を追う二回だった。1死一塁、カウント2ボールから井納が投じた3球目。浮いたフォークを完璧に捉えると、無数のフラッシュを浴びながら打球は力強く伸びていった。

 右中間を破る適時二塁打。打席に入る前に異様な雰囲気を感じ取り「ズルズル行く怖さがあった」。7日・広島戦の最終打席で王手をかけ、意識していなかった数字が頭を巡った。重圧も芽生えてきた。それでも打席に立てば、平常心を失わなかった。

 「試合に出続ける。その積み重ね」。鳥谷は自らの偉業をこう評した。中心選手の地位を築き始めた2010年、腰椎骨折の重傷を負いながらプレーを続けた。だが成績が下降線をたどると、当時の首脳陣が事実を漏らし、隠していた故障が報じられた。

 その時、自主トレ仲間のロッテ・井口を介して親交があり、メジャーから阪神に移籍してきた城島が激怒した。「おれはトリにそんな選手になってほしくない。ケガを言い訳にして、美化してプレーするならグラウンドに立つ資格はない。レギュラーを争う他の選手や、見に来てくれたファンに対してあまりにも失礼」。その言葉を鳥谷はただ黙って聞いた。

 あの日以来、自らの状態を他言することはなくなった。チーム内にも悟られぬよう、いつも気丈に振る舞った。自宅には最先端の治療機器を導入。脇腹や背中を痛め、スイングに影響が出ていた時も「絶対に認めないから」と言い切った。

 自分で決めたルールを守り抜き「ケガしてもどうやって試合に出るかを考えた」。どんな状況でもグラウンドに立ち、どんな時もポーカーフェースを貫いた。それが批判の的になっても、自らの信念は曲げなかった。

 引退が頭をよぎった昨季の大不振から復活できたのも、プロ野球選手である前に人間としての“強さ”があったから-。イバラの道を歩み、積み上げた2000本という数字。「これ以上、数字を追うと辞めたくなりそう」と先のことは見ない。ただ、間違いなく、鳥谷は今日もグラウンドに立っている。

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