眠れないほどの右腕の痛みが「異常なし」「メンタルの問題」と片付けられた14年間 14歳で始まった異変、28歳でようやく判明した指定難病・脊髄空洞症

「なんで、辛さを誰も分かってくれないのかと苦しかった。どこの病院でも異常ナシといわれ、扱いづらい患者扱いされていました」

そう話す小林愛令奈(えれな)さん(satiko.0305)は右腕に痛みなどが現れ、様々な病院を受診するも、メンタルの問題と片付けられてきた。ようやく知識ある医師に出会え、「脊髄空洞症」であると判明したのは病気の発症から14年も経った、28歳の時だったという。

■医師に理解されない「右腕の異変」に苦しんで…

脊髄空洞症とは、脊髄の中に脳脊髄液が溜まった空洞ができ、脊髄が内側から圧迫されることで激しい痛みや痺れなど、様々な症状が起きる指定難病だ。

小林さんは14歳の頃、右腕だけ痛みや温度を感じなくなった。その後、右腕に眠れないほど激しい痛みを感じるようになったため病院へ行ったが、医師からは右側の筋力低下はあるものの異常はないと告げられた。

しかし、様子見しても症状は改善せず。1カ月後に再受診したが、診断は変わらず、ひとまず電気療法やリハビリを受けた。

ところが、症状は変わらない。処方されたビタミン剤を服用するも、15歳の頃には右手の親指が動きにくくなった。

病院では、腱鞘炎と診断された。ただ、痛みはなく、動かしづらさだけを感じたため、小林さんは診断結果に違和感を抱いたという。

その後も病気は進行し、18歳の頃には右足の痛みや温度を感じなくなった。右足には痺れや触った時の感覚が鈍くなる感覚麻痺も現れたそうだ。

「高校生の頃には、立ちくらみが起きるようになりました。自宅では立ちくらみから失神したこともありましたが、シングルマザーの母に心配をかけたくなくて症状を隠していました」

脳神経外科を受診するも、異常は見つからず、「メンタルの問題」と片付けられるようになった。感じる苦痛を分かってもらえない…。そんな経験を何度も繰り返した結果、病院の受診に恐怖を感じるように。やがて、「私はこういう体質」と思い込み、日常生活を送るようになった。

■我が子の存在が「再受診」を考えるきっかけに

症状は年々、悪化。眠れないほどの腕の痛みは月1から毎日に。爪が食い込むほど強く右腕を握りしめ、痛みに耐えた。

夫と結婚したのは、24歳の時だ。第一子の妊娠中には脳貧血になり、近所の病院へ。医師に自身の症状を話すと、深刻そうな顔で「出産後でいいから頸椎を調べたほうがいい」と告げられた。

だが、周囲に相談した際、「首を手術することになったら後遺症が心配」と反対され、検査を受けようという気持ちはしぼんだという。

「この頃には体が左右で真っ二つに分かれているのかと思うほど、感じる感覚が違っていました。お風呂に入っても右側だけ汗をかかないし、料理中に包丁で右手を切っても痛くありませんでした」

1年半後に長女が誕生するも、出産を重ねて病状は悪化。右足のつま先が痺れる、右足の太ももが痛むなどの症状が現れた。

「右腕の痛みは不定期なので、子どもが幼い頃は子どもを守れる抱き方を自分で考え、行っていました」

そんなある日、我が子と散歩へ出かけた時、右足のつま先が痺れ始め、その後、右足先半分の感覚がなくなった。もし、このまま歩けなくなったら子どもたちを守れなくなる…。

そう思った小林さんは、ネットで情報を収集。自分の症状に当てはまる「脊髄空洞症」という病気があることを知り、勇気を振り絞って脳神経外科を受診した。

■祖母が通っていた整形外科で“14年越し”に病名が判明!

ところが、またもや異常は見つからず。医師からは心ない言葉を言われ、小林さんは涙した。状況を変えるきっかけをくれたのは、祖母だ。長年、隠してきた症状を家族にカミングアウトしたところ、祖母はかかりつけの整形外科に小林さんの症状を相談してくれた。

小林さんは症状を時系列にまとめ、過去に病院で言われたことなどを書いたメモを持ち、その整形外科を受診。脊髄空洞症を疑っていると話すと医師は丁寧に話を聞いてくれ、頸椎のMRIを撮ることに。

すると、頭蓋骨の中にあるべき小脳や脳幹の一部が頭蓋骨の出口から背骨の中に下垂する「キアリ奇形」という病気であることが判明。小林さんは、キアリ奇形から脊髄空洞症を発症していた。

「これまで感じてきた症状が嘘じゃないと認められたように感じて嬉しかったです。今までの病院では嘘つき扱いされ、医師が正解とする診断が自分にとっては100%の正解ではないと感じていたので…」

その後、小林さんは大学病院へ。手術を受けたが、術後に「複合性局所疼痛症候群(CPRS)」という神経難病を発症したため、脊髄の近くに電極を埋め込み、微弱な電流を流すことで痛みを和らげる手術を受けた。

「ただ、私の場合は2カ月ほど経つと頭があげられなくなってしまったので、電極は取り除きました」

また、医師から事前に説明を受けた右足の運動麻痺だけでなく、腕の痛み、筋力低下なども改善しなかったため、この病気の早期発見・早期治療の大切さを痛感したという。

■解離性健忘や光過敏症、特発性慢性疲労症と付き合う日々

小林さんは現在、解離性健忘や光過敏症とも闘っている。1日の9割はベッドで過ごしており、ヘルパーの利用も検討中だ。

「見知った駅なのに、乗る電車が分からなくなることがありました。電気やテレビが眩しい時は、サングラスをかけています。子どもの連絡帳や学校からのプリントが読めないこともあり、理解力や判断力が衰えてきているとも感じます」

そんな中でも持病を積極的に発信するのは、自身の経験が誰かにとって苦しみを和らげるきっかけになるかもしれないと思うからだ。

「10万人に1人が発症すると言われている脊髄空洞症は認知度が低いし、知らない医師もいます。医師にも私の経験が届き、誰かの脊髄空洞症の早期発見に繋がったら本望です」

小林さんは確定診断後も苦しんでいる症状を“病状”として理解してもらえないことがあり、

特発性慢性疲労症を発症した。常に強い倦怠感があり、掃除機をかけると2日間寝込み、月に2~3回の通院後には1週間起き上がれなくなる。

「受診や転院は、当事者にとって人生のターニングポイント。医師にとって患者はたくさんいる中のひとりでしかないし、割ける時間も限られていることは分かるけれど、患者にとってはその先生しかいないので、“あなたしか頼れない”という患者側の気持ちも分かってほしいです」

そう話す小林さんは、病院を受診することに恐怖感や抵抗感を抱いている人に実体験をもとにしたアドバイスを送る。

「『あと1回でいいから諦めない』という気持ちを持ってほしい。私はその気持ちを持てたから、手術に辿り着けて自分の足で歩くことができていると思うから。あと1回と思って受診した病院がもし理解してくれなくても、それは医師の専門外だったり、自分との相性が悪かったりしたのだと思い、自分を責めずに“あと1回”を積み重ねてほしいです」

また、体調管理ができるアプリを活用して現状を具体的に伝えられるようにしたり、話したいことを事前に紙にまとめたりするなどの工夫も受診時に意識してほしいと話す。

「ドクターショッピングという言葉は悪い意味で捉えられやすいけれど、そうやって様々な情報を集めることも自分を守るひとつの方法だと私は思う。希少疾患や難病者は病状を理解してもらえないことがあるからこそ、日記などの吐け口を作ることも大切だと思います。」

これまでの経験を“綺麗な物語”で片付けてほしくない。そんな強いを胸に、小林さんは障がい者・難病者専門の芸能事務所「ココダイバーシティ・エンターテイメント」に所属し、日常を発信している。

医師と患者は上下関係で繋がってしまうことも少なくないが、“心から安心できる治療“を確立するには医師と患者がフラットに対話できる関係性であることが大切だ。そのために自分ができることを患者側も医師側も今一度、自問自答したい。

(まいどなニュース特約・古川 諭香)

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