日本代表のW杯北中米3カ国大会が幕を閉じた。前回カタール大会を16強で終え、続投となった森保一監督(57)は目標をW杯優勝と公言し、第2次政権を進めてきた。親善試合でのW杯優勝国連破に続き、本大会を迎えても1次リーグを1勝2分けで危なげなく突破。しかし高まる期待は「王国」ブラジルによって、打ち砕かれた。サムライブルーの舞台裏、そして今後について3回連載で迫る。
8強に終わった24年1月のアジア杯が、第2次森保政権の転換点となった。敗退が決まった準々決勝のイラン戦後、MF守田がピッチ外からの助言やコンセプト共有を訴え、波紋を呼んだ。森保監督は直後の3月の代表活動でDF長友をカタールW杯以来、約1年3カ月ぶりに代表招集した。
会見でメンバーリストが配られた際、ざわめきが起こったのを記憶している。森保監督は「プレーヤーとして彼を選んだことを伝えたい」と強調していたが、首脳陣と選手の意思疎通を図る“潤滑油”として、うってつけの人材であるベテランに白羽の矢を立てたとみる。実際、その後も長友は継続的に招集されたが、W杯アジア最終予選では全10試合でベンチ外だった。
ただ、貢献度は計り知れなかった。練習の雰囲気が明るくなっただけではない。試合に出られない中、腐ることなく準備をするベテランの姿を見て刺激を受ける選手は少なくなかった。年長者の南野でさえ、「ぎらぎらして、長友選手に負けないようにしたい」と話すほどだった。
W杯の事前合宿では、堂安ら複数人と早朝散歩に出かけた際、メキシコメディアからの突撃取材を全て引き受けていた。ささいなことがストレスになる。W杯を4度経験しているからこその行動だろう。世間では招集に賛否両論の声が上がったが、堂安が「彼は絶対チームに必要だった。彼のいないチームは想像できない」と話した通り、森保ジャパンに不可欠な存在だった。(デイリースポーツ・サッカー担当 松田和城)