“神の子”マラドーナ氏が死去 サッカー界のレジェンド、波瀾万丈60年の人生に幕

 史上最高のサッカー選手の一人で「5人抜きゴール」で知られる元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナ氏が25日、ブエノスアイレス近郊の自宅で死去した。10月30日に60歳になったばかりだった。左頭部に硬膜下血腫が見つかり、11月3日に手術を受けていた。華麗なドリブル、正確無比な左足のキックで数々の伝説を残してきたレジェンドの死に、サッカー界は深い悲しみに包まれた。

 「天才児」「神の子」と呼ばれた世界的なスーパースターが、波瀾(はらん)万丈だった60年の人生に別れを告げた。左頭部に見つかった硬膜下血腫の手術を3日に受け、経過は良好と伝えられていたマラドーナ氏が25日、ブエノスアイレス近郊の自宅で死去した。現地メディアによると予備的な検視の結果、死因は急性心不全とみられるという。

 現役時代は相手を巧みにすり抜けるドリブル、左足を駆使した絶妙な足技で数々の伝説を築いてきた。

 15歳でプロデビュー。16歳でアルゼンチン代表に選ばれた。優勝した86年W杯メキシコ大会準々決勝のイングランド戦で決めた、約60メートル独走の「5人抜きゴール」と手でボールを入れた「神の手ゴール」の2得点はあまりに有名だ。90年W杯も準優勝。イタリア1部ナポリでは初のリーグ優勝と国内カップ制覇の2冠を達成し、街の英雄となった。

 ピッチ上で至高の輝きを放つ一方、度重なる問題行動などで功績に傷を付けてきた。

 ナポリ時代の91年にはコカイン使用が発覚。15カ月の出場停止処分を受けた。再起を懸けた94年W杯米国大会は1次リーグ中に興奮剤など複数の薬物使用が発覚し、大会から追放された。奔放な言動で反感を買うことも多く、94年には報道陣に空気銃を乱射するなど常にトラブルがついて回った。

 97年に現役を引退。2000年に心臓発作を起こし、キューバで薬物中毒の治療を受けた。04年春にも重体となったが、極度の肥満を胃の縮小手術で解消するなど健康を取り戻し、08年11月に母国の代表監督に就任。10年W杯では準々決勝でドイツに敗れた。晩年はUAE(アラブ首長国連邦)、メキシコ、アルゼンチンのクラブでも指揮を執った。

 同国代表で10番を受け継ぐFWメッシ(バルセロナ)は思い出の写真ともにインスタグラムに「全てのアルゼンチン人とサッカーにとって悲しい日だ。ディエゴは永遠だから」と記し、悲しみにくれた。同国のフェルナンデス大統領は3日間、国として喪に服すると発表。26日以降に大統領府にマラドーナ氏の遺体を安置し、国民がお別れできる場を設けるという。

 誰からも愛され、世間を騒がせ、常にスポットライトを浴び続けてきた不世出のフットボーラー。こんな男はもう、現れることはないだろう。

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